食料主権 · 論考
食料主権――開発の代替案と女性の権利をめぐる議論
Pamela Caroは農民運動とフェミニズムから食料主権を論じる。土地や種子を誰が決めるのか、農村女性の労働を認めながら性別役割を固定しないにはどうすればよいのかを問う。
記事解析
Pamela CaroによるAWIDの論考は、食料の問題を「十分な量があるか」から、「何を、どのように生産し、分配し、手にするかを誰が決めるのか」へと押し広げる。食料主権は供給量の別名ではない。土地、種子、水、農業知識、地域に根ざした生産方法を誰が管理するかという政治的な主張である。Caroはこの概念を、貿易自由化と工業的な食料システムに応答する農民運動の中に位置づける。とりわけラテンアメリカの農民女性たちの組織化は、農村開発と女性の権利を同じ議論へつなぐ。食料は生存条件であると同時に、地域や働く人々が集団で決定する力を求める場でもある。
この論考の重要な仕事は、公式の記録や公共の議論から抜け落ちがちな労働を経済分析へ戻すことだ。女性による種子の選別と保存、加工、栽培実験、食に関する知識の維持は、農業の外にある「自然な手伝い」ではない。生産そのものを支えているのに、無償の家事労働に分類されやすい。「貢献を見える化する」だけでは、ケア、食事の準備、生計維持を女性の役割として固定し直す危険も残る。そこでCaroは、誰が土地、融資、公的資源を得るのか、作物や価格の決定に誰が参加するのか、家庭や組織の仕事をどう分け直すのか、運動の議題に女性が実際に影響を及ぼせるのかを問う。
だからこそ、食料主権と女性の解放を自動的に同一視することはできない。地域が企業支配に抵抗していても、家庭、協同組合、運動内部の決定権が男性に独占されている場合はある。「伝統への回帰」が女性の知識を文化遺産として称揚しながら、負担や権利の格差を変えないこともある。Caroのフェミニズムは、農村女性を一様な被害者や生まれつきの環境保護者として描かず、組織し、議論し、代替案をつくる主体として捉える。本稿は2010年のCLOC会議に向けた議論のために書かれ、2011年に刊行された。現在の食料政策を示す統計ではなく、歴史的位置の明確な概念地図として読むのが適切だ。
土地と生態の政治をさらに考えるには、ヴァンダナ・シヴァのSoil Not Oilで化石燃料、工業農業、グローバル化を、Making Peace with the Earthで土地、水、種子と経済秩序の結びつきを読める。両書の立場はCaroと完全に同じではなく、その違いを比較することにも意味がある。AWIDは原文「Food Sovereignty: Exploring Debates on Development Alternatives and Women’s Rights」の全文PDFを公開している。
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