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Mad Max: Fury Road

ラディカルフェミニズム · 映画

Mad Max: Fury Road

核兵器による崩壊後、資源が枯渇した世界。独裁者イモータン・ジョーに囚われていた5人の女性たちが、女戦士フュリオサと共に「緑の地」を目指して逃走を開始する。伝統的な男性主導のジャンルに、女性の抵抗と連帯(シスターフッド)を真っ向から据えた、21世紀アクション映画の金字塔です。

監督
ジョージ・ミラー
2015
地域
オーストラリア
上映時間
120分

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ジョージ・ミラー監督の『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015年)は、ポスト・アポカリプスの荒野に女性解放の炎を灯した、ラジカル・フェミニズムが炸裂するアクション映画の傑作です。タイトルこそマックス(トム・ハーディ)の名を冠していますが、物語の真の原動力はシャーリーズ・セロン演じるフュリオサ大隊長です。独裁者イモータン・ジョーの支配下で、美しい「妻(ワイブズ)」として生殖の道具にされていた5人の女性たちを連れ出し、自由を求めて逃走する彼女たちの姿は、「私たちはモノではない(We are not things)」という強烈なメッセージを観客に突きつけます。本作は、母乳の搾取、水の独占、そして使い捨てにされる「ウォー・ボーイズ」の育成といった、生命を商品化する家父長制的な支配システムからの、文字通り「肉体」の奪還を描いています。

本作における「囚われの美女(ダムゼル・イン・ディストレス)」というステレオタイプの解体は見事です。ワイブズは決して受動的に救出を待つ存在ではなく、自らの知恵と集団の意志で過酷な「デス・ロード」を駆け抜ける主体的な逃走者です。フュリオサ自身も、過剰に性化された女性アクションヒーローの規範から逸脱し、バズカット(坊主頭)に義手、そして高度なメカニック技術を駆使するその姿は、美的な価値ではなく、彼女の生存能力と過去のトラウマを鮮やかに浮き彫りにしています。そして、マックスの役割さえも革命的です。彼は伝統的な「救世主」ではなく、フュリオサのリーダーシップを認め、彼女が任務を完遂するために必要な身体的サポートを提供する、献身的な「アライ(協力者)」として機能します。

映画の終盤に登場する「鉄馬の女たち(ヴヴァリーニ)」は、物語にエコ・フェミニズムと世代を超えた知恵の層を加えます。砂塵の世界で種子を持ち歩く彼女たちは、有毒な男性性と環境破壊によって失われた「緑の地」の記憶を体現しています。彼女たちの存在は、人類の存続は支配ではなく資源(種子、水、命)を慈しみ守る「マトリアーキー(母権的)」な精神にかかっていることを示唆しています。一行が最終的に逃げるのではなく砦(シタデル)を取り戻す決断をするとき、映画は単なる「脱出劇」から「社会変革」の物語へと昇華されます。真の自由とは遠いユートピアにあるのではなく、今ある抑圧的なシステムを解体したその先にこそあるのだと。

結局のところ、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』は、アクション映画における「女性のまなざし(フィメール・ゲイズ)」の強力な証明です。圧倒的な視覚体験と社会政治的な深みが完璧な調和を持って共存し得ることを本作は証明しました。女性たちの闘争の生理的なリアリティとシスターフッドの力に焦点を当てることで、ミラー監督は視覚的に美しく、かつ思想的に鋭利な21世紀の神話を作り上げました。本作は、少数の「救済」が、ひいては多数の「解放」へと繋がる可能性を信じる現代の観客への、忘れがたい挑戦状であり続けています。

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