FemRes成長し続けるレビュー
La Passion de Jeanne d’Arc

フェミニスト神学 · 映画

La Passion de Jeanne d’Arc

映画史に燦然と輝く不朽の傑作。15世紀のジャンヌ・ダルクの裁判記録に基づき、制度化された父権制と闘う一人の女性の精神的勝利を描き出す。ルネ・ファルコネッティの魂を揺さぶる演技と極端なクローズアップを駆使した革新的な手法は、現代においてもフェミニズム映画の原点として力強いメッセージを放ち続けている。

監督
カール・テオドル・ドライヤー
1928
地域
フランス
上映時間
114分

作品を読む

カール・テオドル・ドライヤー監督による『裁かるるジャンヌ』(1928年)は、単なる歴史劇の枠を超え、制度化された父権制と一人の女性の精神的主権との激突を鮮烈に描き出したフェミニズム映画の金字塔です。15世紀の異端審判の記録を基にした本作は、伝統的な歴史絵巻のようなスペクタクルを排し、ジャンヌ(ルネ・ジャンヌ・ファルコネッティ)が直面する内面的な心理のリアリティにのみ焦点を当てています。極端なクローズアップを多用し、化粧を施さないファルコネッティの顔に刻まれる一筋の涙や微かな震えを捉え続ける革新的な手法は、急進的な「内面性の言語」を創り上げました。観客は、神との直接的な対話を主張するジャンヌの声が、男尊女卑的な教会の権威によって組織的に包囲され、解体されていく過程を、逃げ場のない親密さをもって目撃することになります。

本作は、女性の独立性を罪と見なす宗教的・政治的構造に対する痛烈な批判でもあります。ジャンヌが自身のヴィジョンを撤回することを拒む姿は、単なる宗教的敬虔さの表明ではなく、神聖な真理へのアクセスに男性の仲介者を必要とするシステムに対する明白な政治的反抗として提示されています。ドライヤーは、ジャンヌの頭髪を強制的に剃り落とし、心理的な「ガスライティング」を駆使して彼女を追い詰める審問官たちの残虐性を、ドキュメンタリーのような冷徹な視線で見つめます。この中世の闘いは、体制による暴力、女性の身体の監視、そして信憑性の剥奪という、現代の女性たちが直面する課題と分かちがたく結びついています。本作は、国家や教会が神学や法、肉体的恐怖を武器にして服従を求めてくる時、なおも自らの真理を堅持し続けることにこそ真の力が宿ることを力強く主張しています。

映画的手法において、この無声映画の傑作における「沈黙」は、逆説的にジャンヌの抵抗を増幅させています。審問官たちが言葉の罠を仕掛けるのに対し、彼女の視覚的な真実の重みがそれを凌駕していくからです。極限まで削ぎ落とされたミニマルな美術と、映画史上最高と称されるファルコネッティの超越的な演技の相乗効果は、疑念や苦悶さえもエンパワーメントの物語へと昇華させる新たな女性像を確立しました。『裁かるるジャンヌ』が今なお観る者を震撼させ、インスピレーションを与え続けるのは、解放された女性の精神と、それを縛り付けようとする強固な男性支配構造との永遠の摩擦を記録しているからに他なりません。火刑台の炎が身体を焼き尽くそうとも、彼女の急進的な信念は処刑人の手の届かない場所にあることを、本作はその最後の一瞥をもって証明しています。 sky

読者の声

対話

鑑賞後の感想や、そこから広がる考えを共有してください。

ディスカッションに参加

コメント

コメントを読み込み中...

サポート

このコンテンツがお役に立ちましたら

FemResを支援