政治参加 · 論考
ブラジル女性から制憲議員への手紙
女性の政治参加を、家族内の権限、家事・農村労働、ケア、身体の自己決定、反人種主義へ結ぶ集団的な要求書。民主主義が日常の制度に届く条件を問います。
記事解析
女性の政治的な発言権には、家族の権威、労働、ケアの制度を変えることも必要です。Carta das Mulheres aos Constituintesは、議会の女性議席を少し増やすだけに平等を縮めません。民主主義の約束が家庭、職場、身体に入ったとき、誰がなお従わされ、誰が決められるのかを問います。
1987年のブラジル制憲議会に宛てた文書で、全国女性権利評議会CNDMが推進した集団的な動員から生まれました。具体的要求は1986年8月26日の全国会議にさかのぼると記されています。議会の記録は1987年3月26日の提出を確認します。会議、議会への提出、1988年憲法の成立は別の段階であり、要求の一覧をすべて実現した権利の一覧とは読めません。
発言の席の先で、家庭では誰が決めるのか
冒頭は、平等な政治制度と、権威による支配のない日常生活を結びます。代表、声、公的な参加は、教育、健康、安全、傷つけられない家族関係の代わりにはなりません。女性の問題は、民主主義をつくった後に足す付録ではなく、民主主義がどの関係にまで届いたかを測る尺度になります。
家族の項目は夫婦の平等を、財産の管理、子どもへの責任、家族の居住地を決める権限へ分けます。農村女性の土地の権原も婚姻状態によって制限されてはならないとします。抽象的な原則が依存関係を変えうる事項に届くのです。夫を介さなければ土地を持てず、住む場所も決められないなら、市民としての地位は生活に十分入っていません。
一般原則は、社会運動、労働組合、団体が集団的利益のために訴えを起こす資格と、原則を適用できるようにする規則も求めます。法律は国家が与える宣言だけではなく、誰が要求し、争点を組織し、実行を問い続けられるかという問題です。話す機会と、要求を作用させる経路は、別の政治的な力です。
女性の美徳ではなく、公的な要求としてのケア
労働の項目は、家事労働者と農村の女性労働者への完全な労働権・社会保障の拡大を明記します。家庭に近い場所で生活を支える仕事も、保障に値しない手伝いにはなりません。同じ女性でも雇う側と雇われる側に分かれます。一般的な職業上の平等だけでは、こうした労働に触れないまま、階級化・人種化された分業を残しかねません。
保育の要求は職場と居住地の両方へ向かい、女性と男性の労働者の子どもを対象とします。父親の出産前後の休暇や養子を迎える際の休暇もあります。母親に効率向上を求めるのでなく、ケアの時間、施設、所得の保障を公に引き受ける構想です。父親の関与を認めても日々の分担が等しくなった証明にはなりませんが、不均衡を母親個人の当然の問題にする見方を揺さぶります。
健康の項目は、女性の生涯を生殖機能から区別します。身体について決めること、強制的な人口管理への反対、避妊手段へのアクセスを並べ、妊娠を避けることや中断することを、母になるか自由に選ぶ要求へ含めます。強制の拒否とサービスの要求は両立します。資源がなければ選択は言葉だけとなり、資源に強制が伴えば別の統制になりえます。
一方で、母であることと父であることの社会的価値も強く肯定します。それは公的支援の根拠となりつつ、考えるべき境界を残します。ケアへの支援には、親になる人生を先に理想とする必要があるのでしょうか。養育を孤立した個人の義務から社会の責任へ移すことと、子を望まない人、持てない人、別の関係で生活を支える人を含めることは、ともに重要です。制度の範囲を問うことは、親の具体的な必要を否定することではありません。
風俗を守ることから、人の生活を守ることへ
暴力の項目は、性犯罪を風俗への侵害でなく、人への侵害として捉えることを要求します。法律上の貞淑な女性という資格の削除も求めます。相手との関係、被害者の処女性、場所を理由に強制を除外してはなりません。社会が認める性道徳に適合していることを証明しなければ被害を扱ってもらえない、という保護の敷居を変える要求です。
処罰と専門的な警察機関だけでなく、医療、法的・社会的・心理的支援、避難場所、生計支援も並びます。女性の申立ては夫の許可に左右されてはならないとします。そのため、単なる厳罰化の路線には縮められません。ただし、機関を列挙しても利用可能性の証明にはなりません。誰が到達でき、尊重され、安全に暴力的関係から離れられるかは、紙の上の権利を超えて検討する必要があります。
教育と文化の要求は、反人種主義を同じ政治の枠組みに入れます。アフリカとアフリカ系ブラジルの歴史を教育へ、性別、人種、肌の色の資料を公的な研究と統計へ組み込むよう求めます。終わりには土地、先住民、環境、国家権力も論じ、女性市民を家族政策に閉じ込めません。ただし問題を結んでも、全ての集団が等しく参加した保証にはなりません。私たちという集団にも内部の代表性への問いは残ります。
Gonzalezの『ブラジル文化における人種主義と性差別』は、黒人女性のケアを称えながら権威を否定する文化を読みます。この手紙は家事労働の権利、人種資料、教育を制度上の要求にします。彼女が手紙を書いた、理論が直接実行されたという比較ではありません。『サパティスタ女性革命法』は別の組織規模を示します。国家の制憲と自治運動はともに平等を要求として表す必要がありますが、権力構造と実行条件は異なります。誰が法に入り、誰が法を変え続けられるかが問題です。
2015年の黒人女性の行進宣言は実行の条件を前面に出します。法やサービスがあっても、人種化された資源配分と国家暴力が保護を妨げうるからです。誰が要求をつくり、予算を統御し、サービス機関を監督するのか。二つの文書から公的責任を問い合えますが、異なる時代の集団的な提案を同一組織とみなしたり、後の文書が先の難題を解決したとしたりする比較ではありません。
別の形式で読み進める
特集をたどる
読者の声
読者からの手紙
この記事への応答や、議論に加えるべき資料を共有してください。
ディスカッションに参加
コメントを読み込み中...
サポート
このコンテンツがお役に立ちましたら