南アジア・フェミニズム · 論考
VAMP/SANGRAM セックスワーカー運動
この運動のケーススタディは、インド南西部のセックスワーカーがどのように集団的リーダーシップを築き、警察の暴力や救済政治に異議を唱え、フェミニスト団体に自らの道徳的境界線に立ち向かうよう強制したかを示している。
記事解析
AWIDの「Changing Their World」シリーズに収められた本事例研究は、SANGRAM/VAMPの当事者たちが、マハラシュトラ州サングリで進めてきたセックスワーカーの組織化を記録する。VAMPはHIVのピア教育から出発し、警察暴力、健康、生計、子どもの権利、社会的スティグマに取り組む自主的な集団へ発展した。持続する組織力は、外部機関が当事者に与えるサービスではなく、セックスワーカー自身による生活の分析から生まれるという立場が全編を貫く。
最も鋭い女性主義的介入は、「救済」を名目とする政治への批判である。成人のセックスワークを一律に人身取引へ還元する政策は、警察権力を拡大し、収入を断ち、当事者を同意能力のない存在として扱う一方、住宅、労働保障、司法へのアクセスをほとんど改善しない。VAMPは、セックスワーカーが強姦、搾取、強制にさらされうることと、政治的主体性を持つことは両立すると主張する。主体性を認めることは構造的制約を否定するのではなく、誰が被害と救済を定義するかを変える。
本調査は、女性団体との連携に伴う困難も記録している。セックスワーカーたちは「立派な女性」という基準に異議を唱え、なぜ自分たちへの暴力が反女性暴力運動から除外されるのかを問いかけた。対話によって市場、セクシュアリティ、選択をめぐる対立が消えたわけではないが、少なくとも排除そのものは可視化された。2011年の運動側による記録であるため、現在の法制度やその後の活動史と併読する必要がある。それでもなお残る教訓は、連帯とは「保護」の名で当事者を見えなくすることではなく、影響を受ける労働者と責任を持って意見を交わすなかで育つということだ。
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この資料を収録 · 第 09 号
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身体の自律性
この資料を収録 · 第 06 号
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