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仮面の向こうに――人種・ジェンダー・主体性

アフリカ・フェミニズム · 書物

仮面の向こうに――人種・ジェンダー・主体性

原題Beyond the Masks: Race, Gender and Subjectivity

著者Amina Mama

アミナ・ママは、心理学が人種化された「他者」をいかに作り出してきたかをたどり、英国の黒人女性たちの歴史、対話、関係性から主体性を捉え直す。

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書評と読書案内

アミナ・ママが問うのは、心理学が人種差別によって歪められてきたということだけではない。心理学的知識が人種権力をいかに自然なものに見せてきたのか、そして自己を捉え直すには何が必要なのか、という問いである。ママは植民地医学、科学的心理学、人種アイデンティティ論におけるアフリカ人や黒人の表象をたどる。奴隷にされた人々は奴隷制に適した存在とされ、抵抗すれば病理化された。その後の理論も、損なわれた単一の黒人主体を診断の対象として繰り返し描いてきた。こうした理論は人々を記述するだけではなく、制度や社会通念の形成にも加わり、白人至上主義をもっともらしく見せてきた。

ママがとりわけ注目するのは、「黒人主体」というカテゴリーのなかで誰が見えなくなるのかである。植民地心理学や主流心理学では黒人女性が周縁に追いやられ、黒人のアイデンティティ研究では男性が普遍的な主体とされがちだった。それと並行して、白人中心のジェンダー理論は白人の女性らしさを「女性」一般の基準にしてきた。必要なのは、既存のモデルに見落とされた集団を付け加えることだけではない。モデルそのものを問い直す必要がある。ママはフェミニズムとポストコロニアルの視点から、普遍的で理性的かつ自立した個人という心理学の前提を批判し、社会の歴史が学問のいう「心」にどう刻まれるのかを問う。

その代わりに提示される「主体性」は、仮面の下に隠れた不変のアイデンティティでも、社会に受け身で形づくられる空白の個人でもない。歴史、制度、人間関係、想像力が開く位置のあいだを人が移動していく、終わりのない過程である。人は支配的なイメージを内面化し、抵抗し、ときには相矛盾する位置を同時に生きる。ママは英国の黒人女性十四人との録音対話を、自身も研究者として参加しながら、歴史・政治分析と結びつけてこの考えを展開する。研究方法も結論と同じくらい重要だ。彼女は自らの研究上の立場を明示し、参加者の語りを、媒介されていない真実への透明な窓ではなく、具体的な状況に根ざした知識として扱う。また、資料の選択、解釈、執筆の最終責任は自分にあると認める。対話に根ざした研究ではあるが、完全な共同執筆でも、分析を参加者が主導する研究でもない。

英国の黒人女性の経験を扱う章は、傷つきだけを語ることも、無条件に称揚することも主体性を捉えきれないと示す。学校、家族、仕事、移住、黒人女性運動との関わりを通じて、女性たちの自己理解は変化していく。モナを中心とする詳細な考察では、植民地的な同化の言説から黒人ラディカルな立場への移行は、単純な改宗のようには進まない。親密な関係、階級化・人種化された期待、髪型や服装、「本物の黒人らしさ」をめぐる判断が、どの立場を選べるものとして感じるかを左右する。抵抗は自己定義の余地を開く一方、集団政治が「どれほど黒人であればよいのか」という新しい境界を作ることもある。モナは誰もが共有する典型ではない。彼女の事例は、社会的言説と個人関係が、特定の歴史のなかの一人の人生にどう働くかを見せる。

「黒人女性らしさ」を扱う章では、この議論がさらに深まる。ママは「三重の抑圧」を、被害が積み重なり、黒人女性が究極の被害者になるという図式に還元することを拒む。肌の色による差別、髪を伸ばすための矯正、肌を明るくすることをめぐる語りからは、人種化された美の基準が白人の制度だけでなく、黒人コミュニティの日常的な関係のなかでも再生産されうることがわかる。しかし、そうした実践を「白人になりたい」という願望だけで説明することもできない。女性には魅力的であることを求める家父長制と、何が美しいかを不平等に定める人種秩序が重なっているからだ。黒人女性運動、詩、文化的記憶は女性らしさを別様に想像する道を開く。同時に、肯定的な集団アイデンティティが、狭い「本物らしさ」の本質へ固まる危険も指摘される。

簡単な答えを拒む姿勢こそ、本書に今日も残るフェミニズム的な力である。ママは、構造から自由になることを主体性と同一視せず、女性を構造の結果だけに還元もしない。不平等な条件のもとで人々がどうやりくりするのか、個人の意識が集団運動とどう響き合うのか、そして学問が研究対象とするカテゴリーを自ら再生産していないかを問う。本書には明確な時代的・地域的な枠組みがある。英国の黒人女性運動と、主に一九八〇年代初頭に行われた研究上の対話に根ざしており、あらゆる黒人女性、アフリカ社会、後の世代を包括する記述ではない。用語や理論上の論争の一部は一九九五年の文脈に属する。また、植民地的同化と黒人ラディカルという二つの大きな言説が、そのどちらにも収まらない人生を十分捉えられるのか、限られた参加者の選択的な語りからどこまで一般化できるのかは、読者が問い続けるべき点だ。

いま『仮面の向こうに』を読むなら、固定的なアイデンティティの手引きというより、方法論への問いかけとして読むのがよい。心理学が主体に名前を与えるとき、その名は誰の歴史と権力によって形づくられたのか。パトリシア・ヒル・コリンズの『黒人フェミニズムの思想:知識、意識、エンパワーメントの政治学』と併読すれば、黒人フェミニズムの知と権力を捉える別の枠組みと比較できる。両書は知識の権威を問う点で響き合うが、同じ議論ではない。ママならではの貢献は、その問いを心理学理論そのものの形成に結びつけ、自己が人間関係のなかで、ときには不快さや矛盾を通じて形づくられる過程を描いたことにある。

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