
気候正義 · 書物
気候正義
原題Climate Justice
ウガンダの農民、ミシシッピの地域オーガナイザー、太平洋島嶼国の住民の物語から、気候危機をジェンダー、貧困、移住、労働、人権の問題として捉え直す。
書評と読書案内
『気候正義』の出発点は気候モデルではなく、分配をめぐる問いである。危機を最も多く作り出した人々は強い防御手段を持つ一方、排出量の少ない人々が最初に作物、家、水、土地、移動の選択肢を失う。アイルランド大統領と国連人権高等弁務官を務めた Mary Robinson は、気候変動を人権の問題として捉え直す。危険は気温上昇だけにあるのではなく、貧困、植民地史、ジェンダー化された労働、政治的代表が、誰を危険にさらし、誰に補償を与え、誰を解決策の決定に参加させるかを左右する点にある。
本書は出会いと固有名を持つ人々の物語で進む。ウガンダの農民 Constance Okollet は異常気象による生計破壊を経験し、地域で植樹、貯水、農法の変更を組織する。ミシシッピ州 East Biloxi の Sharon Hanshaw はハリケーン・カトリーナ後、自らの美容院を起点に住民をまとめ、やがて地域の経験を国連へ届ける。Robinson はさらにアラスカ、チャド、ベトナム、サーミのトナカイ放牧地、海面上昇に直面するキリバスを訪れる。「脆弱な人々」という抽象語が、戦略と政治判断を持つ人物へ戻される。
女性が繰り返し登場するのは、自然に近い存在だからではなく、水汲み、食料生産、子どもと高齢者のケア、家族の健康維持を社会的分業によって多く負わされているからである。干ばつで水汲みが長距離化し、洪水が食料を奪い、男性が移住すると、女性の無償労働は急増する。土地権、融資、技術、公式な決定権への不平等なアクセスは適応をさらに妨げる。フェミニストの読解は、女性を生来「強靭」と称賛するのではなく、再生産労働を通じて危険が転嫁される仕組みを見る必要がある。
Robinson はまた、最前線の共同体を北側の専門家による救済を待つ被害者として扱わない。人々はすでに種子、エネルギー、建築、相互扶助、政策要求を作り、交渉の席を求めている。「テーブルに席を持つ」とは女性代表の人数を増やすだけではない。生活経験を知として認め、気候資金と技術選択を影響を受ける共同体の判断に委ねることでもある。地方の実践から国際制度へ至る道筋は、資源と決定権を伴わない参加が象徴的な協議に堕する危険を示す。
移住と「公正な移行」は正義の尺度を広げる。海面上昇は島国の全住民に移住を迫りうるが、「尊厳ある移住」は人々を管理対象の難民として扱うこととは異なり、文化、主権、家族関係、選択を守る問題である。同様に、化石燃料依存を終えるために関連産業の労働者を切り捨ててはならない。歴史的排出責任、費用負担、労働保障、食料とエネルギーへのアクセスを扱わなければ、緑の移行も古い階級・植民地関係を再生産する。
本書の長所は同時に限界でもある。親しみやすい物語と希望の倫理は複雑な問題への入口になるが、化石資本、企業権力、帝国主義、国際金融が危機を生産する仕組みの持続的分析は薄い。国際的権威を持つ元国家元首が草の根の女性の物語を語り直すことには、誰が誰を代弁するのかという緊張もある。「レジリエンス」が政策側に利用されれば、被災者に自力適応を求める美徳になりうる。感動を権力分析の代わりにしてはならない。
『気候正義』に残る命題は、あらゆる気候政策が三つの問いに答えるべきだということである。誰に責任があり、誰が資源を受け取り、誰に発言権があるのか。本書は気候フェミニズムへの公共的な入口として、先住民主権、環境的人種差別、ケア経済、政治生態学と併読したい。そのとき希望は個人的楽観ではなく、最前線の知が予算、法律、インフラ、国際的義務の配分を変える政治的可能性を意味する。
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