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女性の夫たち

トランス研究 · 書物

女性の夫たち

原題Female Husbands

著者Jen Manion

Jen Manion は18世紀から20世紀初頭の英米で「女性の夫」と呼ばれた人々を再構成し、結婚、労働、階級、報道がいかにジェンダーを形づくったかを問う。

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書評と読書案内

『女性の夫たち』が研究するのは、かつて広く流通し、後に公共言語から消えた歴史的呼称である。Jen Manion は、およそ1740〜1840年の英国と1830〜1910年の米国で、出生時に女性と割り当てられながら男性として生活し働き、女性と結婚した人々を追う。「female husband」を安定した自己認識とはせず、新聞、裁判所、公衆がそうした婚姻を理解するために用いた歴史的カテゴリーとして扱うことで、現代のジェンダー用語以前にあった複雑な生の可能性を再構成する。

彼らの多くは、経歴が暴露されたときにだけ記録へ現れる。死後の検査、救貧申請、逮捕、夫婦間の争い、新聞の見世物化が、誰の人生を紙上に残すか決めた。そのため史料は貴重であると同時に敵対的である。新聞は何十年もの生活を「女性を欺いた女性」という奇談へ縮め、法記録は身体検査に固執し、本人の語りより暴露者の言葉を保存する。過去は透明に現れるのではなく、警察、医師、編集者の分類を介して読まれる、という方法論的警告が本書を貫く。

「夫」は服装の選択だけでなく社会的位置だった。男性として生きることは、高い賃金、職業移動、旅行の自由、公共空間での安全、女性と世帯を築く可能性をもたらしえた。James と Mary Howe らの事例では、結婚、労働、男性性が相互に支え合い、家計を担い、事業を営み、夫の役割を果たすことで社会的承認が形成された。階級は決定的であり、労働者、移動労働者、貧困者ほど救貧、住宅、刑事制度を通じて暴露されやすく、自らを説明する私信は残しにくかった。

本書は妻たちを「だまされた女性」という定型からも解放する。多くの妻は伴侶の身体的経歴を知りながら、婚姻、生計、世帯を共同で築いた可能性が高い。しかし記者や官吏がその知識を消したのは、女性がこの関係を意図的に選んだと認めれば、異性婚は固定された二つの性を自然に結ぶという前提が揺らぐためである。妻の沈黙は無知の証拠とは限らず、伴侶、収入、共同生活を守る行為でもありうる。結婚は解剖学が保証する制度ではなく、協働する実践として見えてくる。

Manion は「女性の夫」というカテゴリーがなぜ消えたかも説明する。19世紀末、医学、法、性科学が出生時の性を人間の最終的真実とするにつれ、継続的な社会的役割より身体分類が優先され、報道も一人の夫を描くことから「女性」を診断することへ移った。ジェンダー多様性が近代医学とともに初めて生まれたのではない。むしろ近代制度が、多様な生を理解できる言語を狭めたのである。二元制は永遠の常識ではなく、記録、専門知、国家権力が反復して強化した歴史的産物として現れる。

本書の最も慎重で重要な選択は、全員に単一の現代的アイデンティティを遡及して与えないことである。今日のトランスジェンダー、ノンバイナリー、レズビアンなど、どの語を選んだかは分からない。しかし時代錯誤を避けることを、全員を「男装した女」へ戻す口実にもできない。Manion は不確実性を保ちながら、男性名、代名詞、職業、婚姻上の位置を長期に用いた事実を重く見る。死者の自己命名を奪わず、敵対的な記録にも命名を独占させないという、トランス史の倫理である。

対象は主に英米圏で、残存史料は白人と司法制度に捕捉された労働者階級を過剰に代表するため、すべてのジェンダー多様な生を代弁せず、人種化や植民地主義には別の歴史が必要である。それでも本書は、賃金、住宅、評判、移動の自由、妻の主体性をジェンダー史へ戻す重要なフェミニスト/トランス研究である。過去に現在のアイデンティティの単純な祖先を探すのではなく、制度が「理解可能なジェンダー」をどう作り、その閉じ切れない隙間で人々がどう共同生活を築いたかを見るための本である。

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