
トランスナショナルフェミニズム · 書物
境界なきフェミニズム
原題Feminism without Borders
Chandra Talpade Mohanty は「西洋の眼差し」批判から反資本主義的連帯へ進み、国境横断フェミニズムを歴史、労働関係、共同闘争に根づかせる。
書評と読書案内
『境界なきフェミニズム——理論を脱植民地化し、連帯を実践する』は Chandra Talpade Mohanty の約二十年にわたる重要論考を集めるが、雑多な論集ではない。フェミニスト知の脱植民地化、世界資本主義の脱神秘化、国境横断的連帯の再構想という政治的経路を持つ。「境界なき」とは国境の消滅を装うことではなく、国家、人種、学問分業に責任を限定させず、境界が女性に不均等な力を及ぼす現実を認めることだ。
冒頭の「西洋の眼差しのもとで」は、一部の西洋フェミニズム研究が、貧しく、無知で、伝統に抑圧され、近代女性の救済を待つ単一の「第三世界女性」を作ると批判する。問題は失礼な固定観念だけではない。この知識構造は西洋女性を自由な主体にし、他の女性を歴史と政治的差異のない被害者にする。分析は世界中の「女性」を同じ集団と仮定せず、具体的制度、植民史、階級、人種化、地域闘争から始めるべきだとする。
これは文化相対主義ではない。Mohanty は外部批判を禁じず、地域伝統もロマン化しない。権力関係から切れた普遍化に反対する。文化横断比較は、比較単位がどう作られ、誰が解釈権を持ち、どの経済・政治関係が遠い生活を結ぶかを説明しなければならない。脱植民地化は別々の真実へ退くことではなく、差異と共通構造を同時に認識する知識実践である。
中盤では資本主義が中心となる。女性労働者を扱う論考は、世界生産が工場、家事、移住、非公式労働を結ぶ一方、国籍と人種化された賃金が労働者を分けると示す。女性は生得的な共通経験で自動的に姉妹になるのではない。連帯は共通だが同一でない搾取位置、組織化、政治教育から作られる。仕事、身体、教育、市民権が資本に形成される以上、反資本主義はフェミニズムへの任意の付加物ではない。
大学も政治の場である。企業化教育は多文化主義をブランド化し、急進知を消費可能な授業にしつつ、学生と職員に債務、非正規労働、管理統制を課す。フェミニスト教育は読書リストに「多様な声」を足すだけでなく、知識と制度の関係を追い、教室を反人種主義、労働、国際主義運動へ結ぶ必要がある。経験は自動的な真実の証明ではなく、共同解釈し連合へ変える歴史資料である。
終章の再訪は、初期論文を西洋/第三世界の固定二分と読む傾向も修正する。グローバル化で権力は国境を越え、各地の内部で特権と周縁性が交差する。「共通する差異」は無差別な姉妹関係も、行動不能の終点としての差異も拒む。ただし本書は女性労働と南/北を中心にし、トランス、障害、生態危機、プラットフォーム資本主義は薄い。後の国境横断クィア/脱植民地研究による拡張が必要である。
最も重要な実践的要求は、連帯を感情的宣言ではなく労働と考えることだ。自分の消費、大学、国家、組織が他者の労働条件へどう入るかを調べ、声を奪わず責任を担う。FemRes にとって本書は「グローバル・フェミニズム」の尺度になる。異なる女性を同じ標語へ集めるのでなく、正確な歴史、連結した物質的利害、説明責任ある共同闘争から、境界を越えつつ消去しない政治を作るのである。
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