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ナショナリズムとジェンダー 新版

ナショナリズム · 書物

ナショナリズムとジェンダー 新版

著者上野千鶴子

上野千鶴子は女性の国民化を問い、増補新版で証言、戦争の記憶、責任と正義をめぐるフェミニズム内部の対立を再検討する。

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書評と読書案内

女性が国民として承認されると何が変わり、その承認は何への協力を求めるのか。上野千鶴子の『ナショナリズムとジェンダー』は、包摂を解放と同一視しない。女性の国民化、戦争の記憶、日本軍の性奴隷制の被害生存者をめぐる政治を問う。一般に「慰安婦」と呼ばれる女性たちの経験に向き合うと、保護を約束する国民共同体が、ジェンダー化された義務を割り当て、国家の目的へ女性を動員する側面も見えてくる。

本項の版は、岩波書店が2012年に刊行した大幅増補の新版、ISBN9784006002718である。1998年の初版の議論を増補し、再検討した版である。この違いは書誌だけの問題でもない。新版あとがきで上野は、以前の議論を組み立てた概念そのものを再検討する。再刊はフェミニズムが自らの言語を問い直す機会となる。

国民になる二つの経路

上野は旧版の「参加型/分離型」を「統合型/分離型」へ改める。男女を分離する形もまた参加の一形式だからである。女性は男性と同じ基準で制度に入ることも、女性固有とされる役割で国家に貢献することもある。双方が女性の国民化となりうる。前者だけを参加と呼ぶと、後者が国家の何を支えるかが見えなくなる。

この区別は進歩を評価する問いを変える。男性に占められてきた活動への参入は機会を再配分しても、その活動の正しさまでは決めない。女性の貢献の承認は、その貢献を果たす義務を固定することもある。二つの配置は異なり、制度的獲得をすべて無価値とする必要はない。広がる政治的成員資格が、誰の目的に沿い、どれほど拒否を許すかが問われる。

ジェンダー化された帰属は、女性への暴力が公に意味を持つ仕方も変える。国家が傷ついた女性を自国への被害の証拠とすれば、本人の要求は国の名誉に従属しかねない。フェミニズムは歴史的暴力に抗しつつ、生存者を「どの国の名誉を回復するか」という競争に戻してはならない。これはナショナリズムと証言を結ぶ読書の問いであり、全生存者の立場を決める公式ではない。

証言、歴史、異論

2012年のあとがきは、生存者の証言をめぐる争いが、女性史や聞き書きの蓄積をなぜ脅かしたかを説明する。権威ある歴史家が所有する歴史に資料を加えるだけの問題ではない。記憶と語り直しを通じた語りを聴くことは、誰が過去を語り、何が歴史の問いになるかも変える。語りの変化は、話者を退ける根拠として単純に用いられない。

この方法上の挑戦は、事実を調べる必要をなくさない。証言を承認すること、歴史的証拠を検討すること、現在の政治的要求を提示することは区別したい。三つを無条件の信頼か疑念による拒絶かに縮めれば、ほどこうとする二者択一を再生産する。運動に都合のよい言葉を語るときだけ有効な記号として生存者を扱わず、発話の条件を考えられる。

アジア女性基金をめぐるあとがきの議論は、対立をフェミニズムの内部へ向ける。上野は責任、償い、可能な行動をめぐる意見の違いを論じ、基金への立場が忠誠の踏み絵となることも批判する。これは争われた歴史への著者の介入であり、全参加者や生存者への中立的な判決ではない。正義の要求が運動内の異論を難しくするとき、何が起こるのかを考えさせる。

時間の枠組みも保つ必要がある。増補版は2012年から過去数十年の闘いを振り返る。当時の政治家や選択可能性の記述を、そのまま現在の報告にすることはできない。一人の著者の説明は、生存者、国、世代、組織による優先事項の違いも消せない。連帯の主張と、異論を通じて作られる連帯との緊張を残す点にも価値がある。

上野の『家父長制と資本制』は国民化を家族と労働の組織に結び、『女ぎらい』はジェンダーの序列への別の入口を開く。『フェミニズムの系譜・植民地の遺産・民主主義の未来』は比較を広げる。平等とは既存秩序で公認の場所を得ることか、その秩序の目的を問う力を得ることかを考え続けるための道筋である。

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