
労働者の権利 · 書物
ニッケル・アンド・ダイムド
原題Nickel and Dimed: On (Not) Getting By in America
1996年の福祉改革法がアメリカの貧困労働者層に与えた影響を調査するため、ジャーナリストのバーバラ・エーレンライクが身分を隠して潜入取材を行い、低賃金労働の残酷な現実と生存のための闘いを明らかにします。
書評と読書案内
1998年、ジャーナリストのバーバラ・エーレンライクは、快適な中産階級の生活を捨て、急進的な実験に乗り出しました。1996年の福祉改革法をめぐる政治的レトリック――どんな仕事でも人を貧困から救い出せる、貧しい人々に必要なのは労働による「尊厳」だけだという主張――に触発された彼女は、未熟練労働者の列に加わり、ワーキングプア(働く貧困層)が利用できる賃金だけで生き延びることができるかどうかを確かめることにしました。その結果生まれた著書『ニッケル・アンド・ダイムド:アメリカで(なんとか)暮らす』(邦題:『ガラクタのように扱われて』や『ニッケル・アンド・ダイムド』)は、低賃金労働者にとってのアメリカン・ドリームという神話を打ち砕く衝撃的な暴露本であり、現代の労働者の権利と階級闘争を理解するための基礎的なテキストであり続けています。
エーレンライクは数ヶ月間、フロリダ州でウェイトレス、メイン州で清掃員と老人ホームの介護助手、ミネソタ州でウォルマートの店員として働きました。彼女の方法論は単純でした。未熟練労働者に提供される最も賃金の高い仕事に就き、利用可能な最も安い住居を見つけ、計算が合うかどうかを確認することです。圧倒的な結論は「合わない」というものでした。どの場所でも、彼女は数学的に不可能な現実に直面しました。生活費、特に住居費が賃金の上昇をはるかに上回っていたのです。生き残るために、彼女はしばしば週7日、2つの仕事を掛け持ちしなければなりませんでしたが、それでも頻繁にホームレス寸前の状態に陥りました。アパートの敷金を払えないため、収入をアパートよりも早く食いつぶすモーテルに住まざるを得なかったのです。この悪循環は、「貧乏であることは高くつく」という残酷な真実を浮き彫りにしました。
押しつぶされそうな経済状況以上に、エーレンライクは低賃金労働に内在する非人間的な扱いについて、生々しい報告を行っています。彼女は、タイムカードを押した瞬間に市民権が組織的に剥奪される様子を記録しています。入社時の強制的な薬物検査(彼女はこれを服従関係を確立するための屈辱的な儀式に例えています)から、絶え間ない監視、「時間の窃盗」(つまり休憩)の禁止に至るまで、彼女は精神を破壊するように設計された職場文化を明らかにします。経営陣の手法は、効率性よりも支配の階層構造を維持することに重点を置いており、成人の労働者を非行少年以下のように扱っていました。エーレンライクは、このような環境が労働者を疲弊させ、恐怖させ、孤立させ続けることで、労働組合の組織化や集団的な抵抗の可能性を積極的に抑圧していると論じています。
この貧困のジェンダー的側面は、彼女の物語の中心にあります。エーレンライクが就いた仕事――清掃、給仕、介護――は、歴史的に女性が支配的な職業です。彼女は、これらの仕事が女性の身体に強いる物理的な犠牲(背中の痛み、膝の問題、慢性的な疲労)を、医療保険なしで耐えなければならない現実を暴露しています。「ザ・メイド(The Maids)」という企業向け清掃サービスで働いた際、彼女は、伝統的な家事という「手仕事」を、科学的に管理された「こする作業」の組み立てラインに変え、最低賃金で最大の労働力を引き出すために使用される「スピードアップ」技術を描写しました。この家事労働の商品化は、経済がいかに女性の過小評価された不可視の労働に依存しているかを浮き彫りにしています。
最も痛烈な点で、エーレンライクは富裕層がしばしば想定する道徳的優越性に異議を唱えています。彼女は、大衆の想像の中にある「ウェルフェア・クイーン(生活保護の女王)」は神話であると主張します。社会の真の慈善家は、働く貧困層なのです。富裕層の子供の世話をするために自分の子供を放置し、富裕層の床を磨くために自分の健康を害し、スーパーマーケットで新鮮な野菜が安く手に入るように粗末な食事で生き延びているのは彼らです。彼らは、低賃金の労働と自らの身体で、中流・上流階級の快適さを補助しているのです。
本書は、このような存在が精神に及ぼす甚大な被害を深く掘り下げ、貧困がいかにして人の認知的地平を狭めるかを描き出しています。起きている時間のすべてが目先の生存――1セント単位までの食事代の計算、肉体的苦痛の管理、職場での屈辱への耐え忍び――に費やされるとき、長期的な計画はおろか、政治的活動のための精神的スペースなど残されていないのです。エーレンライクは、この「欠乏のマインドセット」は性格的欠陥ではなく、経済的困窮の直接的な結果であると指摘します。ウォルマートでのシフトや床磨きの後の疲労は壊滅的であり、より良い仕事を探したり組合の会合を組織したりするために必要な知的エネルギーは、単純に枯渇していました。この観察は、貧しい人々は単に「自力で這い上がる(pull themselves up by their bootstraps)」べきだという批判に対する強力な反論となります。彼女が証明するように、システム自体が彼らがブーツを持てないように設計されているのです。
さらに、エーレンライクは、わずかな賃金を蝕む雇用の隠れたコストを暴露しています。制服代、交通費、そして不健康なファーストフード(料理する時間もエネルギーもないため)はすべて、ワーキングプアに対する「税金」として機能します。彼女は、大型小売店における不条理な「オリエンテーション」セッションについて記述しています。それは、反組合のプロパガンダを説教し、会社の創業者に対する個人崇拝を強制する一方で、従業員がフードスタンプ(食料配給券)の受給資格を得てしまうほどの低賃金しか支払わないという、洗脳キャンプのように機能していました。公的福祉によって補助されているこの企業の偽善は、国家が実質的に低賃金の雇用主の利益をどれほど下支えしているかという事実を明らかにしています。
『ニッケル・アンド・ダイムド』は、単なる実験の回想録ではありません。それは労働者の権利のための行動への呼びかけです。それは、「自由市場」が自然に生活賃金を提供するわけではなく、雇用者と従業員の間の力の不均衡があまりにも大きいため、労働組合、より高い最低賃金、手頃な価格の住宅といった構造的な変化によってのみ解決できることを証明しています。エーレンライクの声は機知に富み、怒りに満ち、深い共感を持っています。彼女は最も鋭い批判を、彼女が出会った個人(彼女は彼らを尊厳と連帯を持って描いています)ではなく、彼らをすり減らすシステムに向けています。彼女の作品は、私たちが享受している安価な価格や便利なサービスが、私たちに奉仕する見えない労働者たちの苦しみと搾取によって直接的に補助されているという、不快な現実を読者に直視させます。20年が経ち、ギグ・エコノミーが台頭し、格差が拡大する中、彼女の分析は今日でも壊滅的なほどに切実な意味を持っており、労働が常に貧困の解決策であるとは限らず、時には労働こそが貧困の原因であることを私たちに思い出させてくれます。
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