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落下の解剖学

女性映画 · 映画

落下の解剖学

原題Anatomie d'une chute

夫の転落死をめぐる裁判劇。真実の不確かさ、夫婦関係の複雑さ、そして言葉の限界をスリリングに描く。カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作。

監督
ジュスティーヌ・トリエ
2023
地域
フランス
上映時間
151分

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ジュスティーヌ・トリエ監督の『落下の解剖学』(Anatomie d’une chute)は、ジャンルの境界線を解体する映画である。表面的には、雪に覆われた山荘で起きた夫サミュエルの不審死と、その妻サンドラが容疑者として裁かれる過程を描く法廷劇の体裁をとっている。しかし、その核心にあるのは、「誰が殺したか(フーダニット)」という謎解きではない。本作は、結婚という親密な関係性の不透明さ、真実の構築性、そして言語と認識の限界についての、鋭利で外科手術的な解剖(アナトミー)である。トリエ監督は、ヒッチコック的なサスペンスの文法を用いながら、ベルイマン的な人間関係の深淵へと観客を引きずり込む。

本作の法廷シーンは、フランスの「糾問主義」的な司法制度——裁判官が能動的に真実を追求し、被告人と検察官が激しく議論を戦わせるスタイル——を鮮明に描き出している。これは、アメリカ映画で見慣れた「当事者主義」的な、真実よりも勝敗を重視するゲームのような裁判とは対照的である。しかし、この「真実の追求」のプロセスこそが、本作における最大の暴力として描かれる。検察官は、サンドラの小説の一節、過去の録音、セクシュアリティを断片的に引用し、彼女を「有罪にふさわしい人物」として物語化しようとする。ここで法廷は、事実を明らかにする場ではなく、競合するナラティブ(物語)が衝突し、より説得力のあるフィクションが真実として採択される場となる。

映画の冒頭、50 Centの『P.I.M.P.』が大音量でループ再生されるシーンは、観客の神経を逆撫でするだけでなく、後の悲劇の引き金となる不協和音を象徴している。この不快な音響設計は、映画全体を通じて持続する緊張感の基調低音となる。トリエ監督は、カメラワークにおいても意図的な不安定さを導入している。ドキュメンタリータッチの手持ちカメラ、不意のズーム、そして冷徹な固定ショットの交錯は、観客が「神の視点」を持つことを許さず、常に不完全な目撃者の位置に留め置く。私たちは事象の一部しか見ることができず、残りの空白を自らの想像や偏見で埋めることを余儀なくされる。

ザンドラ・ヒュラーの演技は、驚異的という他ない。彼女が演じるサンドラは、従来の映画における「悲劇の未亡人」でも「冷酷な悪女」でもない。彼女は知的で、成功しており、バイセクシャルであり、そして驚くほど不透明な人物である。彼女の「泣かない」態度、感情的な操作への抵抗、そして夫の死後も冷静に自己防衛を図る姿勢は、法廷内外のミソジニー(女性嫌悪)をあぶり出す。検察官が彼女の成功や自立を夫の去勢(emasculation)の原因として攻撃する時、映画は単なる殺人ミステリーを超え、家父長制的なジェンダー規範への痛烈な批判へと変貌する。

映画の白眉は、死の前日に録音された夫婦喧嘩のシーンである。ここでは、家事労働の分担、時間の使い方、創作活動のエゴイズムといった、現代のあらゆるカップルが抱える普遍的な問題が、暴力的なまでの率直さで語られる。サミュエルは自身の失敗をサンドラの支配のせいにし、サンドラはそれを被害者意識だと一蹴する。このシーンは、どちらが「正しい」かを判断することを拒絶する。むしろ、愛と憎しみ、支配と依存が不可分に絡み合った結婚生活の複雑さ(messiness)そのものを提示している。言葉は互いを理解するための道具ではなく、相手を傷つけるための武器となる。

視覚障害を持つ息子ダニエルの存在は、この映画の倫理的な支柱である。彼は「見る」ことができない代わりに、「聴く」ことで真実に迫ろうとする。彼の証言が裁判の行方を左右することになるが、それは彼が客観的な事実を見たからではない。彼は、両親の矛盾する物語の間で引き裂かれながら、自分自身が信じることのできる「主観的な真実」を選択し、構築することを決断する(decide to believe)のである。この「決断としての真実」というテーマは、ポスト・トゥルース時代における認識論的な問いを投げかける。

また、一家の飼い犬であるスヌープの演技(実際にパルム・ドッグ賞を受賞した)も特筆に値する。スヌープは単なる愛玩動物ではなく、事件の唯一の客観的な「目撃者」でありながら、言葉を持たないがゆえに真実を語れない存在として機能する。ダニエルがスヌープを使って行った実験的な行為は、真実を検証することの残酷さと、そこに伴う身体的な痛みを象徴している。

結末において、法的な決着はつくものの、カタルシスは訪れない。サンドラとダニエルの間に横たわる沈黙、そして勝利したはずの彼女が中華料理店で感じる空虚さは、真実が明らかになったとしても、失われたものは戻らないという厳然たる事実を突きつける。タイトルの「落下」(chute)は、サミュエルの肉体的な落下だけでなく、理想化された家族像の崩壊、そして確固たる真実という概念そのものの失墜を意味している。『落下の解剖学』は、解けない謎を解こうとする人間の営みの虚しさと尊さを同時に描いた、極めて現代的な傑作である。

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