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ヒズ・ガール・フライデー

職場の平等 · 映画

ヒズ・ガール・フライデー

原題His Girl Friday

1940年公開のハワード・ホークス監督によるロマンティック・コメディの傑作。ロザリンド・ラッセル演じる敏腕記者ヒルディが、仕事、結婚、自らのアイデンティティの間で揺れ動きながらも、男性優位の新聞業界で誰よりも速く、鋭く立ち回る姿を描きます。現代の視点から見ても驚くほどプログレッシブな、自立した女性の戦いの記録です。

監督
ハワード・ホークス
1940
地域
アメリカ
上映時間
92分

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ハワード・ホークス監督の『ヒズ・ガール・フライデー』(1940年)は、ハリウッド黄金時代における最も革命的な女性主義的作品の一つです。スクリューボール・コメディという超高速の装置を駆使して、女性の自律性、職場の平等、そして家庭に縛られない人生の権利について、深い問いを投げかけています。ロザリンド・ラッセルは、結婚すれば仕事を辞めるのが当然とされていた時代に、知的対等者として男社会のイエロー・ジャーナリズムの世界を渡り歩くエース記者、ヒルディ・ジョンソンを見事に演じきりました。原作戯曲『フロント・ページ』の男性主人公を女性に書き換える(性別を反転させる)というホークスの大胆な試みは、シニカルな新聞業界ドラマを、「新しい女性(ニュー・ウーマン)」のための急進的なマニフェストへと変貌させたのです。

映画の原動力となっているのは、ヒルディの内面的な葛藤です。婚約者ブルース(ラルフ・ベラミー)が象徴する「息詰まるほど安全な家庭生活」と、カオスではあるが充実した「プロとしてのキャリア」との間の緊迫感です。当時の伝統的なロマコメとは異なり、ヒルディの価値は男性との親密度によって定義されるのではなく、彼女の職業的本能と知的な機敏さによって定義されます。本作の特徴である、マシンガンのように速く互いのセリフが重なり合う(オーバーラッピング・ダイアログ)手法は、単なるスタイルではありません。それはヒルディの鋭利な思考力の聴覚的な現れであり、彼女がその場にいるどの男性よりも速く考え、言葉を操れることを証明しています。記者室を颯爽と突き進む彼女のエネルギーにカメラが追いつくのがやっとであるという描写は、1940年代の静的で家庭的な映画の枠組みに、女性が収まりきらないことを暗示しています。

また、本作は「家庭の天使」というステレオタイプを辛辣に批判しています。ブルースは、ヒルディに受動的で保護された生活を捧げますが、彼女は最終的にアドレナリンに満ちた、真実を追及する(たとえ汚職にまみれた)世界を選択します。彼女がジャーナリズムに回帰するのは、前夫ウォルター(ケーリー・グラント)の策略に屈したからではなく、自分自身の本質的なアイデンティティを奪還したからに他なりません。有害な男性性が支配するはずの記者室は、ヒルディが特ダネを勝ち取り、権力層を出し抜くための、彼女自身のプロフェッショナルな舞台へと変わります。

結局のところ、『ヒズ・ガール・フライデー』は、「仕事と生活の両立」という難題に対する極めて現代的な探求のままであり続けています。真のパートナーシップとは、伝統的なジェンダー役割ではなく、職業的な尊敬と知的な適合性の上に築かれるべきだという主張を、映画は鮮やかに描き出しました。女性の才覚を「最大の魅力」として中心に据えることで、本作は1940年代の映画界のガラスの天井を粉砕しました。この映画は、真に現代的な女性にとって、解放とは「最も抵抗の少ない道」ではなく、自らの知性とスピードが評価され、期待通りの「淑女」であることを拒絶できる道を選ぶ勇気から始まることを、今なお、力強く我々に教えてくれます。

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