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オン・ビカミング・ア・ギニア・ファウル

性暴力反対 · 映画

オン・ビカミング・ア・ギニア・ファウル

原題On Becoming a Guinea Fowl

ザンビア出身のルンガーノ・ニョニ監督が、家族の沈黙と性暴力のトラウマをブラックユーモアを交えて描き出した衝撃作。深夜、道端で叔父の遺体を発見した主人公シュラが、葬儀の過程で従姉妹たちと共に、親族が隠し続けてきた凄惨な秘密を暴き出していく。カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で監督賞を受賞しました。

監督
ルンガーノ・ニョニ
2024
地域
ザンビア
上映時間
99分

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ルンガーノ・ニョニ監督の『オン・ビカミング・ア・ギニア・ファウル(原題:On Becoming a Guinea Fowl)』(2024年)は、ザンビアの中産階級にこびりついた「体面(リスペクタビリティ)」という名の抑圧と、家族間の沈黙のメカニズムを、驚くほど超現実的な映像美と鋭い風刺で描き出した野心作です。映画は、真夜中の無人の道路で、主人公シュラ(スーザン・チャーディ)が叔父フレッドの遺体を発見するという、催眠的でブラックユーモアあふれるシーンから始まります。シュラの反応は悲しみではなく、底冷えするような「無関心」です。それは、亡くなった叔父が愛された家長などではなかったことを示す最初のアラートとなります。ザンビア伝統の仰々しい葬儀が始まると、ニョニ監督は、哀悼の儀式がいかに不都合な真実を葬り去るための「武器」として利用されるかを暴いていきます。物語はドライな社会コメディから、シュラと従姉妹たちが過去の情報を突き合わせ、叔父フレッドのレガシーが「名誉」という仮面の下に隠された性暴力であったことを確信していく、凄絶な集団的エクソシズム(悪霊払い)へと変貌を遂げます。

本作のフェミニズム的な卓越性は、「名声」が女性にとっての罠であるという去殖民的な視点による批判にあります。家族のステータスを守るために、年長の女性たちが沈黙の主導的な執行者となり、若い世代に「怪物」のために悲しみを演じる方法を叩き込む様子は、伝統という名の暴力です。ニョニ監督は、振り付けられた号泣、座席の序列、果てしなく供される茶といった葬儀のディテールを、否認の緻密なアーキテクチャとして描き出しました。しかし、タイトルの「ギニア・ファウル(ホロホロ鳥)」とは、捕食者の存在を群れに知らせる警報の役割を果たす鳥を指しています。語られぬことを言葉にすることで、シュラと従姉妹たちは自らの声を奪還し、ナラティブを「加害者への追悼」から「生存者たちの歴史の回収」へと塗り替えていきます。本作は、真の家族の解放には、たとえコミュニティの脆い平穏を壊すことになっても、この「警報システム」になることが不可欠であると説いています。

美学的には、ザンビアの風景と、トラウマ的な体験の理不尽さを反映したシュールな視覚表現が見事に融合しています。主演のスーザン・チャーディは、虐待者が聖人として祀り上げられるのを目の当たりにする生存者の「心理的乖離」と「感情的な麻痺」を、驚くべき抑制の効いた演技で表現しました。ベンバ語の使用や、ザンビア特有の階級ダイナミクスの描写は、欧米中心主義的なフェミニズムの枠組みを超えた深いインターセクショナルな視点を与えています。結局のところ、本作は毒された家族の家系図を癒やす唯一の方法は、それを支え続けてきた「嘘」という名の養分を断つことなのだと示唆しています。沈黙は伝統かもしれませんが、真実こそが革命なのだということを、本作は鮮烈に証明しています。

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