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レハナ・マリアム・ヌール

南アジア・フェミニズム · 映画

レハナ・マリアム・ヌール

原題Rehana Maryam Noor

医科大学の教員が、教授による性加害の疑いを追及する。組織的な否認、母親として背負う圧力、そして「完璧な被害者」を演じなければ信じてもらえない代償を、息苦しいほど鋭く描く。

監督
Abdullah Mohammad Saad
2021
地域
バングラデシュ
上映時間
107 min

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レハナは医科大学の助教授であり、医師、母、姉、雇用される労働者でもある。どの役割でも自制と責任を求められる彼女は、男性教授の部屋から泣いて出てくる女子学生を目撃し、大学に性暴力の疑いを認めさせようとする。同時に娘の学校からは子どもの行動について苦情が届き、公的な正義の追求と母親としての私的な要求が重なっていく。

この映画のタイトなフレーミングと青い施設の光は、息つく余地のない世界を作り出しています。レハナの怒りは理解できますが、同情するほど和らげられるものではありません。彼女は、親しい人に対して高圧的で一貫性がなく、残酷な場合があります。この困難がこの映画のフェミニズムの中心となっている。制度内暴力に異議を唱える女性は、たとえ制度が曖昧さによって男性の安心を守っているとしても、自分たちの主張が聞き入れられる前に、冷静で寛大で、明らかに完璧であることが求められることが多い。

同時に本作は、正義を求める意図が自動的に倫理的権威になるとは考えない。レハナの強い確信は女子学生自身の語りを覆いかねず、行き場のない苛立ちは娘へ向かう。連帯とは、ある女性の声を別の女性の確信で置き換えることではない。正義を追求する過程もまた、守ろうとする相手の主体性を残さなければならない。

したがって、Rehana Maryam Noor は手続きによる解決を示す作品というより、圧力を逃がさない密室のような映画である。職場がどのように証言の信頼性を切り崩すのか、ケア責任が女性の行動範囲をどう狭めるのか、抑圧された怒りが階層を下り、より力の弱い者へ向かってしまうのかを示す。本作の価値は、加害を名指しすることだけでなく、正義をどのような方法で求めるのかもまたフェミニズムの問題だと突きつける点にある。

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