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ROMA / ローマ

交差的フェミニズム · 映画

ROMA / ローマ

原題Roma

1970年代のメキシコシティを舞台に、中産階級の家庭で働く先住民の家政婦クレオの日常と、彼女を取り巻く家族の激動を描く。アルフォンソ・キュアロン監督が自らの幼少期の記憶を投影し、モノクロームの圧倒的な映像美で描き出した本作は、階級、人種、そして「見えない労働」としての家事やケアをめぐる、沈黙と連帯の物語です。

監督
アルフォンソ・キュアロン
2018
地域
メキシコ
上映時間
135分

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アルフォンソ・キュアロン監督の『ROMA / ローマ』(2018年)は、1970年代のメキシコシティを舞台に、女性の労働、階級の断絶、そして交叉的な脆弱性を圧倒的な映像美で描き出した現代映画の至宝です。キュアロンが「自分を育ててくれた女性たちへのラブレター」と語る本作は、上流中産階級の家庭に雇われた先住民ミステコ族の家政婦クレオ(ヤリッツァ・アパリシオ)の視点を中心に据えています。広角レンズを用いた忍耐強い長回しのショットは、床を洗う反復的な作業や子供たちの世話、広大な屋敷の静かな切り盛りといったクレオの日常を、映画史に残る「グレーゾーンの労働」の研究へと昇華させました。通常、映画や社会から不可視化されがちなこれらのタスクは、家族や社会を支える不可欠なアーキテクチャとして提示され、女性たちの無償あるいは低賃金の感情労働・肉体労働こそが、家庭という宇宙の鼓動であることを浮き彫りにしています。

本作の核心にあるのは、先住民としてのアイデンティティが、硬直した階級社会と家父長制的な秩序の中でいかに機能しているかという冷徹な描写です。クレオの疎外感は重層的です。彼女は雇用主とは人種的に異なり、経済的に依存しており、予期せぬ妊娠に直面した際には社会的に孤立します。物語の中で、クレオの妊娠の旅路と、雇用主ソフィア(マリーナ・デ・タビラ)が夫に捨てられる経験が、悲劇的な対照をなして並走します。二人の女性は共に男性から見捨てられますが、その危機を乗り越える力は、彼女たちの社会的な立ち位置に決定的に左右されます。ソフィアの「母親」としての苦悩は富と社会的な認知によって支えられていますが、クレオの潜在的な「母親」としての可能性は、当初は使用人としての利便性を損なう「支障」として扱われます。キュアロンは、家父長制的なネグレクトがどのようにして立場の異なる二人の女性の間に橋を架け、共有された女性のトラウマと相互依存に基づいた、壊れやすくも深い連帯を築き上げるかを丹念に描き出しました。

映画美学の面でも、『ROMA / ローマ』は視覚的な革命と言えます。没入感のある音響と、余韻を長く残すショットの連続は、公共のスペクタクルよりも家庭的な親密さを優先する「女性のまなざし」を構築しています。1971年の「聖体祭の虐殺」という重大な歴史的事件でさえ、デパートの窓越しや病院の片隅から、あくまでクレオの個人的な危機の背景として捉えられます。この戦略は、人生における真に革命的な出来事は、しばしば家庭の最も静かな場所で起こるのだという主張です。クライマックスの波打ち際のシーン——泳げないクレオが、自らの子供を失った直後であるにもかかわらず、雇用主の子供たちを救い出す場面——は、家事とケアにおける自己犠牲の本質を象徴する、内臓に響くようなメタファーです。最終的に、『ROMA / ローマ』は歴史的な証言であり、沈黙させられてきた边缘(エッジ)の声の回復です。それは、階級を超えた愛の労働と女性のレジリエンスこそが、分断された世界をつなぎ止める真の力であることを確信させてくれます。

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