
デジタルフェミニズム · 映画
The Cleaners
マニラの5人のモデレーターを通じて、判断と害の外注、利用者の表現、プラットフォームの説明責任を問う。
- 監督
- Hans Block; Moritz Riesewieck
- 年
- 2018
- 地域
- ブラジル / ドイツ
- 上映時間
- 88 min · 2018年制作資料記載版
作品を読む
プラットフォームのきれいな画面は、誰かの一日の仕事によって維持される。Hans BlockとMoritz Riesewieckの『The Cleaners』は、マニラの5人のコンテンツモデレーターを追い、その判断を企業や影響を受ける利用者と結びつける。自動的に動くように見える公共空間は、人が画像、暴力、政治的表現を繰り返し判断することで成り立つ。労働者が世界を解釈しなければならない一方、規則や結果を配分する権限は別の場所にある。この分業がフェミニズムの問いになる。
画面の裏には人間の判断がある
制作資料は、労働者を元企業幹部、芸術家、研究者、投稿を削除された人と並べる。物語は外注先のオフィスに閉じない。マニラでの一度の判断が別の地域の出来事の見え方を変え、シリコンバレーで書かれた方針が、時間に追われる労働者の解釈すべき指示になる。
この仕事を「清掃」と呼ぶ時点で価値判断がある。不要な情報を汚れとし、除去すれば環境が健全に戻るように見せる。しかし実際には、搾取、記録、芸術、扇動、証言を区別する仕事だ。解釈が不可欠な場所で、その解釈が名前から消える。企業が中立的な媒体を名乗り、難しい判断を請負企業へ移す助けにもなる。
全員が女性でなくても、この分業にはジェンダーの問題がある。サービス労働には、他人の環境を快適にするために感情的な害を吸収することが求められ、自身の条件には十分な注意が向けられない。仕事の重要性を労働者の権限の証明とせず、専門性への承認、保護、規則への影響力が誰に配られるのかを問いたい。
保護と検閲は一つのボタンに収まらない
映画の資料には、削除されたIllma Goreの反トランプ作品や、シリアの戦争画像を扱うAirwarsの活動が登場する。文脈の異なる事例であり、一種類の「無害な画像」にまとめられない。しかし並べて考えると、危害を制限する規則が証拠や芸術も取り除き、利用者には理由や異議申立ての手段がわからないという統治の問題が現れる。
同時に映画は、憎悪や暴力の拡散も扱う。不透明な削除に対する代案は、すべてを公開し続けることではない。露出、嫌がらせ、扇動は、写された人や標的にされた人の生活に影響する。配給元の紹介も、労働条件と検閲の効果をともに問題にする。人を守りながら、規則、文脈、救済を公的な説明責任に結びつけることが課題だ。
身体の画像は証拠、自己表現、芸術にも侵害にもなり、同意、流通、文脈によって意味が変わる。普遍的な「適切/不適切」のスイッチだけでは判断を担えない。しかし難しい事例があるという理由で、同意のない画像や組織的攻撃から人を保護する責任を放棄してよいわけでもない。
害が生じる職場を見る
制作ノートは、守秘義務、不穏な画像への反復的な接触、仕事への異なる思いを記述する。誇りや道徳的使命を感じる人も、害のある仕事の外注を疑う人もいる。仕事を大切に思うことと、リスクが不公平に配られることは両立する。職業上の献身は、すべての要求への自由な同意を証明しない。
心理的な害への注目は、デジタル労働に物質的な結果がないという見方も崩す。画像は退勤後も記憶に残り、契約による沈黙が支援を妨げることがある。誰が生来の強さを持つかではなく、仕事量、ケア、傷害への責任を誰が決めるのかを問う必要がある。作業の外注だけで、プラットフォームの責任まで外注できるわけではない。
映す側の位置にも問いが残る。監督の説明は時に労働者の判断を宗教的道徳から捉える。それはある個人の語りを照らしても、フィリピンの労働者やカトリック文化全体の説明にはならない。企業方針、研修、不安定雇用、時間的圧力が、個人の信仰の物語に隠れてはならない。
制度も画面の中へ
映画は2018年の介入であり、現在の全プラットフォームの監査ではない。5人は労働者全体を代表せず、各地へ広がる議論は国や政治紛争の差を圧縮することもある。この限界を踏まえると、映画をすべての因果の証明とせず、制度を問う入口として使える。
実践上の示唆は労働者の権利と利用者の権利をつなぐことだ。申立て、透明性、文脈に沿った判断には、慎重な仕事を可能にする条件が要る。反対に、職場を快適にするだけでは、利用者や被害を受ける集団が規則の決定権を持つとは限らない。労働保護と民主的な説明責任は支え合うが、同じ成果ではない。
Sarah T. Robertsの『Behind the Screen』は商業的モデレーションの労働関係を詳しく考える手がかりになる。インターネット・フェミニスト原則で参加、表現、同意を考え、『Coded Bias』でアルゴリズム評価へ進める。誰が判断を担い、誰が統治し、滑らかな画面の裏に隠れた代償を誰が拒否できるのかを問う経路である。
読者の声
対話
鑑賞後の感想や、そこから広がる考えを共有してください。
ディスカッションに参加
コメントを読み込み中...
サポート
このコンテンツがお役に立ちましたら



