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ロスト・ドーター

母性批判 · 映画

ロスト・ドーター

原題The Lost Daughter

エレナ・フェランテの小説を映画化。休暇中の女性教授が、海辺で出会った若い母親とその家族に自分の過去を投影し、忘れていたはずの「母親」としての痛苦と葛藤を呼び起こしていく。母性の理想化を解体し、女性の自己実現と母性の矛盾を鋭く問う心理ドラマ。

監督
マギー・ギレンホール
2021
地域
アメリカ
上映時間
121分

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マギー・ギレンホール監督の監督デビュー作となった『ロスト・ドーター』(2021年)は、エレナ・フェランテの同名小説を原作とし、母性の理想化という「神話」を徹底的に解体する野心的で勇気ある心理ドラマです。ギリシャでの休暇を一人で楽しんでいた中年の中年教授レダ(オリヴィア・コールマン)が、喧騒に満ちた一族の若い母親ニーナ(ダコタ・ジョンソン)と出会うことで、忘れていたはずの自身の若き日(ジェシー・バックリーが演じる)の苦い記憶を呼び起こしていきます。過去と現在を重層的に描く構成を通じて、本作は「母性がいかに女性の生命力を奪い得るのか」という、社会において最大の禁忌の一つである「自然ではない母親(アンナチュラル・マザー)」の心理に深く踏み込んでいます。女性の自己実現と母性的期待の間で引き裂かれるレダの姿は、母性が無条件の愛と自己犠牲であるべきというハリウッドの典型的な母親像に真っ向から挑戦しています。

物語の核心は、レダがかつて学問への情熱と自己の確立を優先し、数年間にわたって幼い娘たちを置き去りにしたという事実に集約されます。この選択を本作は安易に病理化したり、悪女として断罪したりすることなく、むしろ自己の消滅に対するある種合理的、かつ切実な抵抗として提示しています。現在を生きるコールマン演じる疲弊し、どこか警戒心の強いレダと、過去のバックリー演じる混乱と抑圧の極限にいたレダ。この対比は、社会的な「母親としての内罰性(ギルト)」が、いかに女性の精神を長年にわたり蝕み続けるかを鮮明に描き出しています。レダがニーナの娘から人形を盗むという象徴的な行為は、子供時代の無垢さと、ケア労働という重厚な負担の両方を象徴しており、彼女自身の中に残る未解決で混沌とした母親としてのアイデンティティを映し出しています。

映画的な表現において、ギレンホール監督は不穏なクローズアップと地中海の平穏な風景とは対極にある緊迫した音響を駆使し、レダの心の中に渦巻く嵐を描き出します。また、レダとニーナの関係を通じて、母性のトラウマがいかに世代を超えて伝播していくかをも考察しています。レダがニーナの中に見出したのは、自分自身の過去の鏡――もがき、怨恨を募らせ、崩壊の淵に立つ女性の姿であり、それは家庭という檻が世代や階級を超えて連綿と続く構造的な現実であることを示唆しています。血の跡を残すような曖昧な結末に至るまで、本作は安易な救済を提示しません。そうではなく、『ロスト・ドーター』は、女性が「不完全で、矛盾し、時には母性に抗う存在」であることを許されるべきだと主張し、女性の価値は決して養育能力のみによって定義されるものではないという痛烈なフェミニズムの宣言となっているのです。

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