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ブラックフェミニズム · 研究

アメフリカ性という政治文化的カテゴリー

A categoria político-cultural de amefricanidade

ゴンザレスは言語、白人化、文化創造を通してアメフリカ性を論じ、南北アメリカと黒人ディアスポラの歴史を誰が名づけるのかを問う。

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研究ガイド

アメリカを米国だけの別名として使い、ラテンアメリカの文化的起点を当然のようにヨーロッパへ置くことは、人々を地図に残したまま、その地図を説明する言葉から排除することにもなる。レリア・ゴンザレスは1988年に『Tempo Brasileiro』で発表したポルトガル語論文で、amefricanidade、ここではアメフリカ性と訳す概念を提案した。既存のアイデンティティの単なる改称ではなく、アメリカ大陸でアフリカ系の人々が作ってきた歴史から、文化的帰属と知的権威を組み直す提案である。

これは文化の例、歴史比較、精神分析の概念を用いる理論的論考であり、人口調査ではない。ブラジルの言語と人種秩序からカリブ海地域や広域の黒人ディアスポラへ進み、命名の政治へと戻る。どの文化が最も純粋かを競うのではない。誰の創造が国民的伝統に取り込まれる一方、その作り手は伝統を解釈する位置から排除されるのかが問われる。

人種主義の否認が人種秩序を支える

第二節でゴンザレスは、公然たる人種隔離と、否認を通じて働く人種主義、racismo por denegação を区別する。後者は黒人が国民に属さないと宣言する必要はない。混血、同化、人種的調和を称賛しつつ、白人の価値、外見、振る舞いを承認の尺度にできる。「誰もが同胞だ」という宣言が、同胞の間に残る序列を覆うことがある。

そのため白人化は、中立的な文化交流ではない。低い位置に置かれる理由を白人規範からの距離に求め、その規範へ近づくことを個人の進歩に見せる。ゴンザレスは異なる制度でのアイデンティティ形成や黒人運動を比較し、露骨な排除と見かけの統合が生む政治的困難の違いを考える。隔離を望ましいとする議論ではなく、米国は顕在的、ラテンアメリカは潜在的な差別だけを持つという永続的分類でもない。異なる仕組みは同じ社会にも共存しうる。

文化を受け入れても作り手を認めるとは限らない

言語は具体的な入口になる。ゴンザレスはブラジルのポルトガル語に刻まれたアフリカの痕跡を pretoguês と呼び、カリブ海地域の言語、音楽、踊り、信仰へも注意を向ける。国民文化はヨーロッパの形式をそのまま移したものではない。しかし、変化を民俗や国民的伝統として分類すると、作り手やその歴史が隠れることもある。国家に採用されても、作り手に同等の文化的解釈権が与えられるとは限らない。

論文は身体が欲望の対象へ切り分けられることも論じ、ブラジルにおける臀部への性的幻想や関連語を例にする。精神分析の「部分対象」は、身体の一部への強い関心と、発言する権利を持つ人として認めることを区別する。この議論は性欲自体を不道徳とするものではない。文化的な魅了と社会的な価値の切り下げを併せて考える。身体イメージを享受しながら、その人の知識、労働、尊厳を認めないことも可能なのだ。

これらの論点は、先行する『ブラジル文化における人種主義と性差別』で、より具体的にフェミニズムの問題として展開される。カーニバルの性的イメージ、日常の家事労働者、黒人の母によるケアは、別々の記号ではない。文化の作り手が労働を担いながら、条件や自己表象を統御する権限を持たない関係がある。両論文は照らし合えるが、1988年の大陸規模の議論は性別分業の具体的分析に代わるものではない。

共に名づけることは純粋な起源探しではない

アメフリカ性は、国境、植民地言語、米国中心の語りによって分割された知の範囲を越える。カリブ海地域はアメリカ大陸の歴史の付録ではなく、黒人ディアスポラも米国だけを意味しない。ゴンザレスは、一国に大陸全体を代表させる慣用的な名称を批判する。知の地理を問い直す契機として読めるが、すべての人に自称を捨てさせる命令にする必要はない。政治的カテゴリーは連関を開くために使え、新たな唯一正当な呼称にする必要はない。

ディアスポラの経験と理想化されたアフリカも区別される。サルヴァドールでアフリカ文化の「残存」を探す訪問者は、その鋭い例である。保存された古い形式だけを探せば、現地で続く創造を見落とすかもしれない。歴史的なつながりを否定するのではなく、生きている人々を外部の起源を証明する博物館にすることを拒む。適応、抵抗、再解釈、創造がアメフリカ性を構成する。

ただし、論文のすべての歴史的推論が、この政治概念によって保証されるわけではない。ゴンザレスが援用するVan Sertimaの先コロンブス期オルメカ文化へのアフリカの影響説には、後に専門的な考古学的批判が向けられた。ヨーロッパ中心主義への異議は、未確立の別の文明伝播説を受け入れることを要求しない。政治的な自己命名と起源の立証を分けることは、一方の創造を認めるために先住民の歴史を消さないことにもつながる。

読むことや共闘のための道具として、アメフリカ性は隔てられた文化実践、労働、闘争を一つの視野に入れる。他方、新しい共通の帰属が差異を後景へ追いやる危険もある。1984年の論文へ戻れば、帰属を認めた後に誰がケアを担い、誰が文化解釈を統御し、誰の声が不作法とされるのかを問える。地図を描き直すことと、その内部の権力関係を変えることは、共に進めなければならない。

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