FemRes成長し続けるレビュー

脱植民地フェミニズム · 研究

反人種主義フェミニズムの実践から考えるポストコロニアル批判

Crítica poscolonial desde las prácticas políticas del feminismo antirracista

Curiel は黒人、チカーナ、ラテンアメリカの女性の組織活動を知識生産として捉え、理論を語る権威を問う。

論文を読む
この資料を共有
X ↗Facebook ↗

01

研究ガイド

ポストコロニアル理論の生産者として記憶されるのは誰なのか。Ochy Curiel の2007年の論文は、大学の男性を理論家として承認する一方、人種化された女性の組織活動を説明されるべき経験として扱う知的分業を問い直す。意見の分布を測る調査ではなく、政治的実践の系譜をたどる論考である。フェミニズムと植民地支配を理解する際、何を思想の資料として探すのかが変わってくる。

組織活動が問いをつくる

Curiel は米国のブラック・フェミニズムと、チカーナ、アフロ・ラテンアメリカ、カリブ海地域、先住民のフェミニズムを結びつける。コンバヒー・リバー・コレクティヴが重要なのは、人種主義、資本主義、性差別、強制的異性愛を関連づけた政治的実践のためである。運動は完成済みの理論に事例を提供するだけではない。理論が説明しなければならない問題そのものを提起する。人種的支配に抗う運動が男性の権威を温存し、男性支配を批判するフェミニズムが白人の特権を守ることもありうる。

そのため、思想の系譜は著名人の一覧では足りない。会合、出版、連携、論争を支える集団的な労働が消えたままでは、名前を増やしても知識の歴史は変わらない。スペイン語原文から導ける問いは、すでに支配を分析していた誰が、後には単なる情報提供者として分類されてしまうのか、ということだ。承認には、発想の帰属や概念上の優先順位の見直しが必要になる。

同じ言葉が異なる政治を担う

とりわけ有用なのは、混血や混交を意味する mestizaje の区別である。Curiel は、米国で Anzaldúa が抵抗のために語る境界的なアイデンティティと、先住民やアフリカの系譜を消してきたラテンアメリカの国民形成の物語を対比する。同じ語彙でも、一方では人種秩序を揺さぶり、別の場所ではそれを再生産しうる。翻訳には辞書だけでなく政治史が必要なのだ。

また、アフロ・ラテンアメリカのフェミニズムを論じることで、生殖や家事の関係が植民地史の中心に置かれる。奴隷化された女性を労働力、生殖、性的利用可能性だけに還元せず、抵抗の解釈も取り戻す。ただし、あらゆる行為を解放として美化することとは違う。資料の分類によって、女性が利用される身体としてのみ登場するのか、自らの条件を理解し抵抗する人としても現れるのかが問われる。

系譜を単一の起源にしない

論文がつなぐ幅広い歴史は、すべての運動が一つの綱領を共有する証拠ではない。連帯を築きつつ、黒人、先住民、レズビアンの異なる闘争を新しい同質的主体にまとめないことが重要な緊張となる。米国とラテンアメリカの比較には、伝達の経路、言語、内部の対立を残す必要がある。

『Borderlands/La Frontera』と読むと、境界の文学的形式と政治的働きを検討できる。さらにEspinosa-Miñoso のフェミニスト認識論批判を重ねれば、周縁で生産された知識を真剣に受け止めたとき、理論の枠組み自体は何を変えるべきかという問いに進める。互いを補う読書であり、同一の主張をする著作として扱うわけではない。

読者の声

研究をめぐる対話

この研究への応答や、共に読むべき論文を共有してください。

ディスカッションに参加

コメント

コメントを読み込み中...

サポート

このコンテンツがお役に立ちましたら

FemResを支援