障害正義 · 研究
携帯電話による短編映像制作と障害のある少女たち:暴力に抗する参加型視覚研究
Engaging girls with disabilities through cellphilming: Reflections on participatory visual research as a means of countering violence in the Global South
Nguyen、Gonick、Buiはベトナムの事例から、障害のある少女たちが携帯電話の短編映像で暴力や排除を表現する方法を検討し、研究における語りの権限を問う。
要旨
ベトナムの三地域で、障害のある少女たちが携帯電話の映像を使って差別や暴力を表現する参加型研究。映像が自己表象の場を開く一方、成人研究者には依然として解釈の力があることを論じる。
研究ガイド
Nguyen、Gonick、Buiの論文は、政治的な帰結を伴う方法論上の問いから始まる。障害のある少女たちの生活を、誰が語るのか。2021年のこの研究は、携帯電話の映像を排除への技術的な特効薬とは見なさない。少女たちが小グループで短編映像を制作し、障害のある女性や地域の障害者団体も過程を形づくったプロジェクトを追う。参加者が画面に映ることだけが重要なのではない。日常の権力関係を見えるものにする場面、イメージ、結末を、少女たち自身が選ぶ点に意味がある。
調査はベトナムの三地域――ハノイとカントーの都市部、フエのアールオイ――で行われ、障害のある参加者86人、うち少女55人と女性31人が関わった。少女たちは教育や地域生活における差別と障壁を経験している人々として参加した。4、5人の小グループで絵コンテを考え、携帯電話で短編を撮影する。障害のある女性が進行を支え、地域団体は質問や活動を現地の状況に合わせるために協力した。映像制作は単独の機材体験ではなく、対話と組織化を含む過程の一部だった。
論文は、視覚障害のある少女がいじめる相手に応じず、謝罪の後に初めて関係を結び直す場面や、少数民族の少女が教室で意見を封じられ、掃除を押しつけられ、同級生への給仕を拒むと脅される映像を読む。これらは抽象的な「脆弱性」の例ではない。少女たちが選んだ場面から、学校の権威、同級生間の序列、民族差、健常者中心の規範が具体的に見えてくる。後者の映像で拒否が結末を変えるとき、少女は排除されるだけの人物ではなく、制約のなかで行動する主体として描かれる。
ここに、障害正義への論文の貢献がある。「声」は研究者から与えられるものではなく、参加型の手法が自動的に平等を生むわけでもない。著者たちは成人研究者として自らが持つ力を認め、研究者と参加者の関係を美化しないよう促す。携帯電話の映像は、面接の言葉だけでは捉えにくい経験にも意味を与える経路になりうる。しかし、それだけで障壁が消えたり、アクセスが保障されたり、最終的な解釈を誰が担うかが決まったりするわけではない。
研究は三地域と障害者団体を通じた募集に限定されているため、団体とつながりのない少女たちが同じように参加できたとは限らない。知見はベトナムのすべての障害のある少女、ましてやグローバル・サウス全体を代表しない。既存の「障害正義の10原則」と読むと、運動の原則から具体的な研究実践へ視点を移せる。ジンバブエの生殖の自己決定を扱う研究とスリランカの権利を求める集団的活動についての政策ブリーフも、異なる問いへの道筋になる。これらは編集上の関連づけであり、共通のデータセットを意味しない。掲載論文で研究方法を確認できる。
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