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フェミニスト理論 · 研究

Thinking Feminism with and against Bourdieu

この画期的な記事は、ピエール・ブルデューの実践の社会学と現代フェミニスト理論の間の生産的な緊張を探求する。ラベルはブルデューのハビトゥス概念とジュディス・バトラーのパフォーマティヴィティ理論を並置して批判的に検討し、ジェンダー、エイジェンシー、社会変革を理解するために、それぞれのアプローチがいかに独自の洞察を提供しつつも異なる限界を抱えているかを明らかにする。分析は、フェミニスト学者がブルデューの概念、特に文化資本をいかに創造的に流用し、階級とジェンダーの交差を解明してきたかを示す。

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要旨

本論文は、ブルデューの実践の社会学と現代フェミニスト理論の間の積極的な関与が相互に利益をもたらすと論じる。それは、実践を通じた人間主体の社会的構築に関するブルデューの説明と、パフォーマンスとしての主体性に関するバトラーの説明を比較する。ブルデューのハビトゥス概念は、主体的性向がそれが形成された社会的実践とあまりに固く結びついているという、主体性の「過剰決定」された見方に傾くいっぽう、バトラーの理論はパフォーマティブな転覆の社会的条件に対する注意が不十分である。後半では、ブルデューの研究、特に文化資本の概念を実り多く利用してきた、階級とジェンダーの関係に関するフェミニスト研究を検討する。

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研究ガイド

テリー・ラベルの「ブルデューと共に、そしてブルデューに抗してフェミニズムを考える」は、ミレニアムの変わり目におけるフェミニスト理論への極めて重要な介入として存在し、ジェンダーと社会的再生産を理解するための最も影響力のある二つの理論的枠組みの間の洗練された交渉を提供している。2000年の『Feminist Theory』創刊号に掲載されたこの記事は、フェミニスト分析における構造とエイジェンシーの複雑な関係を理解しようとする学者にとって必読文献となっている。

生産的関与の約束

ラベルは説得力のある提案から始める:フェミニスト理論とブルデューの実践の社会学は、真剣な相互関与から得るものが大きいというものである。この示唆は、ブルデューの多くの著作における明白なジェンダー・ブラインドネス(ジェンダーへの無関心)に対するフェミニストからの批判を考えると、特に大胆なものであった。しかしラベルはこれらの限界を超えて、ブルデューの理論的装置—特にハビトゥス、場、資本の概念—の中に、十分に活用されていないか誤解されていたフェミニスト分析のための強力なツールを見出す。

記事の中心的な貢献は、ブルデューを単純に採用したり拒絶したりすることを拒否する点にある。代わりにラベルは、批判的流用(critical appropriation)と呼べるものを実行し、ブルデューと「共に(with)」かつ彼に「抗して(against)」思考することによって、ジェンダーがいかに社会生活の根本的な組織原理として機能するかについてのよりニュアンスのある理解を発展させる。このアプローチは、無批判な採用と全面的な却下の両方を回避する理論的関与のモデルを示し、フェミニスト理論が借りてきたツールをいかに変容させ得るかを実証している。

ハビトゥスとパフォーマティヴィティの出会い:理論的遭遇

ラベルの分析の核心は、ブルデューのハビトゥス概念とジュディス・バトラーのパフォーマティヴィティ理論の比較読解にある。両理論家とも、主体がいかに社会的実践を通じて形成されるかに関心を持っているが、このプロセスとその変革の可能性について劇的に異なる説明を提供していると彼女は指摘する。

ハビトゥスの重み

ブルデューのハビトゥス—実践と知覚を生み出す、持続的で転移可能な性向—は、ジェンダー不平等の再生産に対する強力な説明を提供する。ラベルは、ハビトゥスが社会構造の深い身体化を捉えていること、つまりジェンダーが繰り返される実践を通じていかに「第二の天性」になるかを評価する。この概念は、ジェンダー不平等が明示的に挑戦されたときでさえなぜ持続するのかを説明するのに役立つ。それは初期社会化を通じて形成された前反省的で身体的な性向に根ざしているからである。

しかし、ラベルは決定的な限界を特定する:ブルデューのハビトゥスは決定論に傾く傾向がある。特定の社会的「場」で形成された性向は、その生産条件とあまりに固く結びついているように見える。ブルデューは場が変化したときのハビトゥス変容の可能性を認めているが、彼の理論は、エイジェントがいかにして自分たちを形成した構造そのものに能動的に抵抗したり作り変えたりし得るかを説明するのに苦労している。ハビトゥスに埋め込まれた歴史の重みは、フェミニスト的変革の可能性を押し潰す恐れがある。

パフォーマティヴィティの軽さ

バトラーのジェンダー・パフォーマティヴィティ理論は対照的なビジョンを提供する。バトラーにとってジェンダーは、自然的で安定したアイデンティティの幻想を作り出す、繰り返されるパフォーマティブな行為を通じて構成される。この反復は常に転覆の可能性を含んでいる—ジェンダーは「別様に為される」ことができ、そのパフォーマンスを規律する規制的規範を潜在的に弱体化させる。

しかしラベルは、バトラーの説明がブルデューとは逆の問題に苦しんでいると論じる。ブルデューの主体が社会的条件によって過剰決定されているように見えるいっぽう、バトラーのパフォーマティブな主体は奇妙なほど重みがなく、パフォーマティブな転覆を可能にするか制約する物質的・社会的条件に十分にアンカーされていないように見える。バトラーの理論は、深く身体化された性向とそれを支える社会構造を変容させることの困難さを過小評価しているとラベルは示唆する。

エイジェンシーの問題

ブルデューとバトラーの比較はエイジェンシーの問題—抑圧的な構造によって形成された主体がいかにして変革のエイジェントになり得るか—の周りで結晶化する。ラベルは、各理論家がいかにこれへの部分的解決を提供し、それが相手の限界を露呈させるかを示す。

ブルデューのエイジェントは実践感覚(practical sense)、つまり社会的「場」内での戦略的行動を可能にするゲーム感覚を持っている。しかしこのエイジェンシーは、既存のルールを変えることではなく、ルールに従ってプレイすることに限定されているように見える。ハビトゥスはそれを生み出した構造を再生産する傾向のある実践を生み出し、フェミニスト政治が打ち破るのに苦労する循環論理を作り出す。

バトラーはエイジェンシーをパフォーマティブな反復のギャップや亀裂、ドラァグ・パフォーマンスやその他の転覆的な引用(citation)の中に位置づけ、ジェンダーの構築された性質を暴く。しかしラベルは、そのようなパフォーマティブな転覆が、いかに象徴的に強力であっても、ジェンダー不平等を維持する物質的構造や身体化された性向を変容させ得るのかと問う。問題は単にジェンダーのパフォーマティブな性質を明らかにすることではなく、特定のパフォーマンスを可能にし、他を思考不能にする社会的条件を変えることである。

階級、ジェンダー、文化資本

記事の後半では、フェミニスト学者たちがブルデューの概念、特に文化資本をいかに生産的に利用して、階級とジェンダーの交差を分析してきたかを検討する。彼女はトリル・モイとビバリー・スケッグスの研究を強調し、ブルデューの枠組みがいかに階級とジェンダーの不平等が相互に強化し合う複雑な方法を解明し得るかを示す。

文化資本と女性的価値切下げ

ラベルは、ブルデューのフェミニスト的流用が文化資本自体のジェンダー化された性質を明らかにすることを示す。何が正当な文化として数えられるか、教育的・職業的「場」で評価される性向、卓越化(distinction)の定義そのもの—すべてが男性的支配の刻印を帯びている。中産階級の女性は文化資本を持っているかもしれないが、この資本が女性の身体において具現化されるとき、それは価値を切り下げられる。労働者階級の女性は二重の排除に直面する。彼女たちは階級に基づく文化資本と、その完全な実現を可能にするジェンダーの両方を欠いている。

この分析は、ブルデューが社会的再生産にとって極めて重要であると特定した教育システムが、階級的メカニズムだけでなくジェンダー化されたメカニズムを通じても作動していることを明らかにする。女子の教育的成功は社会的権力に直接翻訳されない。なぜなら、文化資本が経済的・社会的資本に変換される「場」が依然として男性的支配によって構造化されているからである。

感情資本と見えない労働

ラベルは、フェミニスト学者たちがいかにブルデューの資本概念を拡張して、彼の枠組みが見落としていた価値創造の形態を含めてきたかを探求する。「感情資本」の概念—女性によって不釣り合いに行われる感情労働—は、ブルデューによる公的な「場」への強調が、公的参加を可能にする私的領域で行われる労働をいかに隠蔽していたかを明らかにする。ブルデューの枠組みのこのフェミニスト的拡張は、彼のカテゴリーの一見したジェンダー中立性が実際には男性的バイアスを隠していることを露呈させる。

方法論的含意

ラベルの記事は、ブルデューの概念を用いてジェンダーを研究する方法について、方法論的な問いにも取り組んでいる。彼女はハビトゥスと場の両方を歴史化することの重要性を論じ、ジェンダー的性向とそれが作動する場がいかに時間とともに変化するかを示す。この歴史的感度は、静的なハビトゥスの決定論を超える道を提供し、変化する場が新しいジェンダー実践の可能性を生み出す瞬間を明らかにする。

記事は、女性の実践的意識—支配的なジェンダー規範に対するしばしばアンビバレントな関係—へのエスノグラフィックな注意を提唱する。完全な従属か英雄的な抵抗かのどちらかを仮定するのではなく、ラベルは、女性がいかに異なる場の間の矛盾をナビゲートし、いかにハビトゥスの異なる側面を戦略的に展開し、そしていかに特定のゲームの「イリュージオ(ゲームへの没入)」を時に認識し拒絶するかに注意深く目を向けるよう求める。

フェミニスト的実践の社会学へ向けて

ラベルは、ブルデューのフェミニスト的流用がどのようなものになり得るかを概説して結論づける。これには以下が含まれる:

  1. 概念のジェンダー化:ハビトゥス、資本、場が常にすでにジェンダー化されており、ジェンダーが後から追加される中立的なカテゴリーではないことを認識すること。

  2. 場の拡張:ブルデューが強調した公的な場と並んで家庭的および感情的な場を含め、これらの異なる場がいかに相互接続しているかを示すこと。

  3. 再生産の歴史化:社会的再生産を自動的なメカニズムとしてではなく、危機と変容に従属する歴史的プロセスとして理解すること。

  4. 抵抗の理論化:支配されたグループが従属的地位にもかかわらず、いかにして批判的意識と変革的実践を発展させ得るかについて、より良い説明を展開すること。

批判的応答と進行中の論争

ラベルの記事は、フェミニスト理論と実践の社会学の関係について広範な議論を生み出した。批評家たちは、ブルデューの枠組みが修正されたとしても、変革に関するフェミニストの懸念に適切に対処できるか疑問を呈してきた。ラベルがバトラーの物質的条件への注意を過小評価していると論じる者もいれば、彼女がブルデューのフェミニスト的流用の可能性について楽観的すぎると示唆する者もいる。

これらの論争は、構造対エイジェンシー、物質的対言説的分析、改良対革命について、フェミニスト理論内のより広い緊張を反映している。ラベルの貢献はこれらの緊張を解決することではなく、ブルデューとバトラーの比較を通じてそれらに関与することが、いかに新しい洞察と戦略を生み出し得るかを示すことにある。

現代の関連性

出版から20年以上経った今も、ラベルの記事は現代のフェミニスト論争に高い関連性を持ち続けている。身体化された性向とその変容について彼女が提起した問いは、潜在的バイアスや体系的抑圧に関する現在の議論に直接語りかけている。文化資本のジェンダー化された性質に関する彼女の分析は、女性の教育的達成と職場での差別に関する進行中の論争を照らし出す。

この記事はまた、新しい形態のフェミニスト政治を理解するためのリソースも提供する。例えば#MeToo運動は、ジェンダー関係のハビトゥスが危機に入る瞬間、かつてドクサ的(当たり前)だったものがオーソドクシー(正統性として明示的に擁護されるもの)になり、最終的にヘテロドクシー(異端として異議を申し立てられるもの)になる瞬間として分析できるかもしれない。ラベルの枠組みは、そのような運動の力と、それらが直面する抵抗の両方を説明するのに役立つ。

理論的遺産

ラベルの「ブルデューと共に、そしてブルデューに抗してフェミニズムを考える」は、フェミニスト理論がいかに非フェミニスト社会理論と生産的に関与できるかのモデルとなった。単に男性理論家を拒絶したり彼らの枠組みを無批判に採用したりするのではなく、ラベルは、借りてきたツールを変容させる批判的流用の形態を実証している。

記事の影響はフェミニスト理論を超え、ブルデューがより一般的にどう読まれるかにも影響を与えている。多くの学者が今では、ブルデューとの真剣な関与は、ラベルが明確にするのを助けたフェミニスト批判と拡張に対処しなければならないことを認識している。彼女の研究は、実践理論のよりジェンダーに敏感な読みと、より社会学的に根拠のあるフェミニスト理論に貢献してきた。

結論:進行中の対話

テリー・ラベルの記事は、ブルデューとフェミニスト理論の最終的な統合を提供するのではなく、むしろ新しい洞察を生み出し続ける対話を開いている。ブルデューと共に思考することで、フェミニストはジェンダー不平等の再生産を分析するための強力なツールを得る。彼に抗して思考することで、ジェンダーを社会生活の根本的な組織原理として中心に据えることに失敗したあらゆる枠組みの限界を明らかにする。

この記事の永続的な価値は、差異を横断する理論的関与—共に、かつ抗して思考すること—が、全面的な採用や拒絶のどちらよりも生産的であり得ることを実証している点にある。フェミニスト理論がいかにブルデューの実践の社会学を流用し、変容させ、超え得るかを示すことによって、ラベルは構造的制約と変革の可能性の両方に注意を払い続ける創造的な理論的仕事のモデルを提供している。決定論と主意主義の両方を拒否するこのバランスの取れたアプローチは、ジェンダー不平等の複雑な現れのすべてを理解し挑戦するためのリソースを提供し続けている。

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