メディア表象批判 · 音声
バッド・フェミニスト・フィルム・クラブ
Bad Feminist Film Club
ケリーとサラが人気映画をフェミニズムから考え、見る楽しさとジェンダー化された権力を同時に問う。
リスニングノート
『Bad Feminist Film Club』はケリーとサラが、自分たちの好きな映画を出発点に語り合う番組である。政治的に完全な作品を見つけてから楽しむのではなく、楽しみながら、誰が行動し、誰が見られ、誰の選択が物語を動かすのかを考える。番組案内では隔週の映画討論として紹介されている。
好きなシリーズから批評を始める
司会者へのインタビューでケリーは、サラが普段のフェミニズムと『ワイルド・スピード』についての会話を録音しようと提案した経緯を話している。大衆娯楽は、身体、危険、ジェンダー、帰属についての想像が形づくられる場所でもある。カーチェイスを楽しむことと、誰が運転し、誰が見せ物となり、誰が結末を決めるかを問うことは両立する。
この方法は、映画を「フェミニスト作品」と認定するだけで終わらないときに力を持つ。強そうな人物でも、筋書きを決める権限は乏しいかもしれない。女性の登場人数だけでは、場面の注意や権威の配分を説明できない。また、好きな作品の問題を認めることは、詳しい検討を免除する口実にもなってはならない。
三つの具体的な入口
第96回『The Matrix Resurrections』は、三部作の影響、自分の物語の書き直し、愛による脱出を論点にしている。そこから、過去を書き直す権限は誰にあるのかと問える。続編は継承した物語を開くのか、それとも同じ関係を軸に人物の未来を組み立て直すのか。
第97回『The Batman』は、ナイトクラブの格闘、撮影、DCのほかの作品との関係などを扱う。形式と政治を結びつけて考える入口である。カメラはどのように英雄の魅力をつくり、アクションと都市空間は何を見えるものにするのか。女性が一人登場するというだけでは答えにならない。
第95回『Phantom of the Opera』は2004年版の演技や翻案の効果を振り返る。ほかの回と比較すれば、ジャンルごとに欲望、権威、観客の共感がどう組み立てられるかを考えられる。特定のジャンルをあらかじめ進歩的だと決める必要はない。
親しい会話にも論拠は必要
友人同士の形式は批評を日常へ近づけるが、二人の合意がすべての観客の経験を代表するわけではない。具体的な場面から一般的な評価へ移る過程に注意したい。筋書きの根拠を説明しているのか、それとも個人の好みを普遍的な基準にしているのか。女性人物に自立、正しさ、好感を求めることが、別の規範をつくってはいないか。この番組は議論を続ける入口として役立つ。
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