女性史 · 上映
アン・プラットとメアリー・シーコールから問い直す英国史
オックスフォード大学講演でChristienna FryarがAnn PrattとMary Seacoleを比較し、Mary Princeの証言から歴史家の責任を問う。
鑑賞ノート
内容に関する注意:講演者は約14分の時点で、冒頭近くに性的暴行について短く、婉曲的な説明があると予告する。また、奴隷制と精神科施設への収容も扱う。オックスフォード大学の2023年ブラック・ヒストリー・マンス講演「BHM Lecture 2023: Ann Pratt, Mary Seacole, and Questioning British History」は2023年10月31日に開催され、歴史家Christienna Fryarが登壇した。Fryarは、19世紀のジャマイカ出身の二人の女性が、英国史のなかでどのように見える存在となり、あるいは周縁化されるのかを問う。中心となるのはAnn PrattとMary Seacoleであり、Mary Princeを主題とする講演ではない。Princeは約49分の箇所で重要な参照点となるため、本講演はPrinceの生涯の叙述やSara Pennの書誌学的論考を置き換えるのではなく、それらと並べて読むのに適している。
Fryarは、PrattとSeacoleが自らの生涯について残した叙述から話を始める。そして、Seacoleがブラック・ブリティッシュ・ヒストリーの一部として比較的よく知られている一方、Prattはほとんど知られず、彼女の記録に触れた少数の人々からも白人だと推測されてきたのはなぜかと問う。これは、どちらがより記憶されるべきかを競わせる議論ではない。歴史叙述が可視性をどのように配分するかという問いである。Fryarによれば、英国史とブラック・ブリティッシュ・ヒストリーを別々の流れとして扱うことはできない。ジャマイカが英国帝国史の周縁に置かれると、そこで暮らし自らの経験を出版した女性も、英国史を形づくった主体ではなく「地方的な資料」として扱われやすくなる。
講演のかなりの部分は、Prattのキングストン精神病院での経験をたどる。Prattは1860年に入院し、退院後に『Seven Months in the Kingston Lunatic Asylum and What I Saw There』を出版した。Fryarは、この小冊子の制作にキングストンの医師Lewis Quier Bowerbankが相当程度協力したようだと説明する。その協力を記録することは大切だが、だからといって小冊子の公的な働きを医師一人のものにしてはならない。Fryarの説明では、Prattが院内の女性たちへの扱いを記録したことで、地域の論争がより広い帝国規模の問題となり、公式調査や政策対応も一時的に促された。司法や医療の制度によって収容者と位置づけられた女性が、制度的暴力を記録し、公衆に応答を求める証言者にもなったのである。彼女はどのように発言の経路を得たのか、誰が文章の流通を助けたのか、個人の経験を行政上の証拠へ変換する権限は誰にあったのか。講演はこうした問いを促す。
人種的アイデンティティを、アーカイブからそのまま転記できる自明の項目として扱わない点も重要だ。Fryarは、Seacole自身が用いた「Creole」という自己記述と、英国の教育が彼女の混血の背景をどのように語ってきたかを検討する。その複雑さによって、Seacoleをブラック・ブリティッシュ・ヒストリーに位置づけることが無効になるわけではない。ただし、本人の言葉と後世の分類は単純には一致しない。PrattについてFryarは、彼女の叙述を初めて読んでから、Prattは混血であり奴隷状態に生まれたと著作で記すことに納得できるまで、9年かかったと話す。生涯の叙述、学校に関する手がかり、その他の記録を照合し、既製のラベルを当てはめたのではない。その過程は、歴史的可視性を証拠と方法の問題として示す。残存資料は不完全で、異なる制度によって作られている。研究者は推論の根拠を示すと同時に、何がなお不確かなのかも明らかにしなければならない。
約49分の箇所でFryarは、1831年に刊行されたMary Princeの『The History of Mary Prince』に話を移す。Princeが自分の目で見たこと、感じたこと、知ったことを語るのは自分の務めだとした言葉を取り上げ、奴隷制によって損なわれたアーカイブをもとに書く歴史家には何の責任があるのかと問う。これは、本講演がPrinceの全著作を論じているという意味でも、二人の経験を同一視できるという意味でもない。FryarはPrinceの言葉を通じて、口述証言と歴史叙述を具体的な倫理問題につなぐ。研究者は、自分の物語を成立させる必要を証言した人より優先しないために何ができるのか。アーカイブの欠落に慎重であることは沈黙の理由にならず、空白を埋めることも、当事者の内面を創作する許可にはならない。
本講演の価値は、「英国史」そのものを問いの対象にし、時間をかけたアーカイブ調査がなじみ深い歴史上の人物像をどう書き換えうるかを示す点にある。ただし、焦点はあくまで二人のジャマイカ女性であり、カリブ海地域の女性史、ブラック・ブリティッシュ・ヒストリー、奴隷制のすべての歴史を代表するものではない。Fryarの結論は、講演で取り上げられる記録とともに読む必要がある。まずFemResの『The History of Mary Prince』読書ガイドとSara Pennの論考ガイドを読み、次にオックスフォード大学の公式講演を視聴してほしい。オックスフォードは公式トランスクリプトも公開している。時間が限られている場合は、冒頭約14分の注意喚起と、約49分から始まるMary Princeについての議論に注目するとよい。
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