民主主義 · 上映
第6回:フェミニズムと民主主義を語る Rita Segato
ジェンダー暴力と人種主義が女性の市民権や政治参加を制限するなかで、何を完全な民主主義と呼べるのか。Rita Segato が問い直す。
鑑賞ノート
このマスタークラスは、メキシコ国立自治大学(UNAM)の講座「今日の世界における民主主義を(再)考する」の一環である。Rita Segato は、市民として不完全にしか認められてこなかった人びとの経験から、民主主義の約束を問い直す。女性への暴力は、確立済みの民主主義が後で扱えばよい私的問題ではない。どの生命が保護され、どの被害が政治的に聞き取られるのかを決める権力関係を示すものとして論じられる。
Segato はジェンダーと人種を、市民権の植民地主義的な歴史に結びつける。すべての排除が同じだという主張ではない。抽象的な普遍的主体という考え方が、誰がその型に合わせることを求められ、誰がそこから外されたのかを隠してしまうという指摘である。フェミニズムの闘争を「少数者の利害」と位置づけると、権威、安全、参加の配分全体にかかわる問題が公共の周縁へ追いやられる。「少数者化」への批判は、公共性の定義を問い直す一方、女性やレイシズム化された人びとが特有の暴力を受ける事実を否定するものではない。
強姦や性暴力をめぐる議論も、単独の行為から社会的な意味へと焦点を移す。Segato はそれらを、権力を伝え、関係を秩序づける実践として分析する一方、恥や汚名が被害者に負わされやすいことを示す。暴力を社会的なメッセージとして読むことは、個人の責任をなくすことでも、個々の事例の調査に取って代わることでもない。どのような階層と集団的な黙認が暴力を可能にするのか、なぜ一部の暴力が常態化し、軽いものと見なされるのかを問うためである。
この講義の力は構造を捉える尺度にある。民主主義を形式的な手続きだけで測るのではなく、暴力があらかじめリスクを割り振るなかでも、人が実際に生き、話し、参加できるかを問う。射程は理論的であり、各国の法制度を比較する調査や、あらゆる状況にそのまま適用できる政策提言ではない。UNAM Global の講義報道は議論の枠組みを整理している。ラテンアメリカの女性・ジェンダー・立憲主義と併読すると、憲法や法制度をめぐる具体的な議論と対照できる。
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