ジェンダー研究 · 上映
「ジェンダー理論」は存在しない、だが語られている
セナックの短い講演からフランスの「ジェンダー理論」論争へ。同じ話者の別の対談を合わせ、研究の多様性と平等、性別役割の相補性を考える。
鑑賞ノート
「ジェンダー理論」は研究を指すのか、それとも複数の政治的不安を一つの敵へ集める呼称なのか。レジャーヌ・セナックのLes Ernestの短い講演は、フランスの論争への入口になる。挑発的な題名はジェンダー研究の存在を否定するのでなく、研究分野と、それを統一的教義としてつくり出す政治的名称を区別させる。
Le Blob/Universcienceの紹介では2014年制作、サイト公開は2019年3月4日、長さは16分11秒とされる。二つの日付は異なる段階を指す。合わせて読む男女平等高等評議会による2014年のインタビューは別の資料であり、同じ政治論争の概念的背景を提供する。
なぜ平等が差異への脅威になるのか
インタビューでセナックは、ジェンダー研究を理論的論争を含む学際的な知識活動として説明する。内部に意見の違いがあっても、研究対象が存在しないことにはならない。複数の理論を全研究者が従う教義にまとめることもできない。同性婚と学校のABCD平等教育をめぐる争点にこの呼称を置き、どの知識や権利の変化が拒まれているのかを問う。
別資料の議論で重要なのは、男女の相補的な役割である。男女が違う機能を担って補い合うとすれば、不平等な分担を秩序に必要な差異と説明できる。教育や職業の固定観念を疑うことが、人間の違いを消す企てへと読み替えられる。具体的な機会の配分は、「全員同じになる」という恐れに隠される。
この読み替えは分解する必要がある。身体や個人の違いを認めても、誰が何の仕事をし、どの権利を持つべきかは自動的には決まらない。差異によって人生を先に決めないことは、皆が同じ欲望を持つことでもない。インタビューでの区別は、違いの有無を問うだけでなく、それを何の序列の根拠にしてよいかという平等の問題を開く。
ただし分野の正当性を守ることを、内部の全理論への賛同の要求に変えてはならない。証拠、概念、方法への具体的異議と、分野全体を有害な陰謀とすることは異なる。視聴と併読では、経験的判断、社会的役割の規範、権利の主張を分け、それらが政治的な言葉でどう束ねられるかを考えられる。
この道筋は2014年のフランスの論争に属し、検討せずに他国や現在の学校紛争すべてへ移せるものではない。録画を入口とし、別のインタビューで概念の違いを深める。平等を支持することと、個別の研究を評価することは分けて論じられる。
『ジェンダー・トラブル』はカテゴリーをめぐる理論的な違いをさらに考えさせる。『Invisible Women』は、データと制度設計から不平等を捉える別の経路になる。政治的標語の輪郭だけでなく、何を調べ、何を争っているのかを見分けるための組合せである。
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