メディア表象批判 · 論考
「悪女」を演じる:BFIが強烈な女性たちの特集を組む理由
Anna BogutskayaのBFI企画解説を入口に、女性の行為主体性と選映の政治を考える。善良な女性と優れたキャラクターは同じではない。
記事解析
Anna Bogutskayaが2019年にBFIへ寄せた企画解説は、後の著書につながる問いへの入口になる。これは選映の意図を説明する文章であって、映画に登場するすべての女性を網羅する歴史ではない。特集上映は作品を並べることで一つの議論をつくり、その議論自体も観客による検討に開かれている。
FemResが考えたいのは、女性キャラクターを男性監督の経歴における例外ではなく、一群の研究対象として扱うと何が変わるかだ。回顧上映は記憶を再編成し、添え物や見世物とされてきた演技を議論の中心に移せる。しかし選択は排除でもある。上映素材、保存、権利、批評の伝統が、誰を見られるかを左右する。フェミニズム的な企画は、その限界を自然な正典として隠すのではなく、議論できるものにする必要がある。
題名の侮辱語は、呼称を決める権利も問う。言葉の奪還は恥を断ち切りうるが、誰もが同じ意味で受け取るわけではない。友人間の親しい呼び方が、職場では嫌がらせにもなる。言葉が奪還済みかどうかだけでなく、誰が使い、誰が拒否でき、力を与える冗談だと宣言されたときに誰の傷が見えなくなるのかを考えたい。
行為主体性と支配も異なる。女性が自分の目的で出来事を動かすことは、他人の物語を助けるだけの役割を崩す。しかし目的があることは、その結果が解放的である証拠ではない。彼女はどんな行動の自由を得たのか。その行動は他者に何をしたのか。この二つを並べれば、演技への賞賛を権力への賞賛に変えずに済む。
本記事から『Unlikeable Female Characters』へ進み、『イヴの総て』と『Mean Girl Feminism』を比較するとよい。この組み合わせはFemResの提案であり、当時のBFI上映一覧の再現ではない。本ページは原文に対する編集的考察で、原文の翻訳ではない。
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