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女性の権利の擁護

第一波フェミニズム · 書物

女性の権利の擁護

原題A Vindication of the Rights of Woman

著者メアリ・ウルストンクラフト

女子教育が依存を「自然」に見せる仕組みを問い、理性、徳、性道徳、政治参加を結びつける1792年の著作を読む。

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書評と読書案内

1792年に刊行されたメアリ・ウルストンクラフトの『女性の権利の擁護――政治的・道徳的問題への論評を添えて』は、人が自由を行使する力をどのように身につけるのかを問う政治的な議論である。女性にだけ特別な道徳基準が必要かを論じるのではない。理性と徳を育てる教育や社会の仕組みとは何か、そして女性の依存が、育てられ方の結果ではなく生まれつきの性質として語られるのはなぜか、と問いかける。

教育と自己統治

本書が明確に批判する対象の一つは、ルソーがソフィーに割り当てた性別化された教育である。ソフィーはエミールを喜ばせ、支えるために育てられる。ウルストンクラフトは、少女の教育の目的を男性の必要に応えることに置く考えに異議を唱える。魅力や従順さ、表面的な教養ばかりが評価され、考える力を継続して鍛える機会が与えられないなら、その後に見える依存を、女性には自立して判断する能力がない証拠とすることはできない。ここで働いているのは、社会的な訓練が限られた習慣を作り、それを自然な性質と取り違える仕組みだ。

だからこそ、理性を擁護する議論は、女性も男性と同じ知的試験に合格できるという主張だけではない。ウルストンクラフトにとって理性は道徳的主体性の一部であり、人は他者の権威に従うだけでなく、自分で判断し、行動し、その行為に責任を負えなければならない。徳が男性には自己統治を、女性には服従を意味することはできない。「感受性」への批判も、18世紀の道徳観に即して読む必要がある。感情や思いやりを単純に退けるのではなく、女性には感情表現と依存を促しながら、節度ある判断は男性の能力とみなす文化を批判している。

この議論は、家庭を政治の外に置く見方も揺さぶる。ウルストンクラフトは女子教育を、結婚関係、家族生活、次世代の市民の形成と結びつける。一方が知的に依存するように保たれたままでは、愛情を掲げるだけで対等な関係になるわけではない。子どもの初期教育が社会に影響するというなら、女性を本格的な学びから排除しながら、その教育責任の多くを女性に担わせることにも矛盾がある。本書は家庭生活の政治的な意味を明らかにする一方、女性の自由を家族や市民社会での役割を通して説明することも多い。

第12章では、教育を公共の課題として考える。ウルストンクラフトは、男女の子どもが一緒に学び、閉じた家庭だけに限られない環境で交流する姿を描き、幼い頃からまったく異なる人生へ振り分ける発想に異議を唱える。彼女自身がこれらを「提案」と呼んでいるため、完成した現代の学校制度を提示したかのように説明するべきではない。重要なのは、性別が異なる知的な将来を決めてよいという考えを拒んだ点だ。教育は結婚相手としての魅力を整える課程ではなく、判断力を養い、共通の生活に参加するための条件となる。

慎みと評判を扱う章は、批判を教室から性道徳へと広げる。ウルストンクラフトは女性の価値を性的な評判で測る一方、男性には同じ基準を適用しない二重基準を問題にする。教育についての議論と合わせて読むと、これは単なる作法への不満ではない。女性の社会的な立場が性的な「評判のよさ」に左右されるとき、選択の幅も、公に発言する際の権威も狭められる。彼女が求めるのは道徳的責任の免除ではなく、女性を評価の対象ではなく道徳的主体として扱う、より相互的な基準である。

議論は教育や行動規範だけにとどまらない。「不自然な社会的区別」を論じる箇所では、性別による階層と世襲の身分秩序を並べ、権威の正当性を問う。また、女性にも代表者が必要だと主張する。したがって本書を、授業内容の改善や教養ある妻を求めるだけの著作に縮めることはできない。同時に、これは18世紀末のイギリスで権利、徳、教育、市民資格をめぐって展開した論争の中に位置づけられる。あらゆる女性の境遇を網羅する理論や、後世のフェミニズム概念を著者自身の言葉として扱うことは避けたい。

開かれた可能性とその限界

本書の力は、自然に見える階層を、それがどのように作られるのかという問いへと変える点にある。ある集団から判断の練習を奪い、その後で「生まれつき判断に向かない」と語るなら、従属を証明するように見える証拠自体が従属関係によって形づくられている。ウルストンクラフトは教育、親密な関係、公共社会への参加を一つの議論につなぐ。女性の地位を変えるには、制約の中で成功する個人を称賛するだけでなく、依存を作り出す規則を検討しなければならない。

ただし、見落とさずにいたい緊張もある。ウルストンクラフトは女性の理性的な自立を求める一方、それを徳、自律、家族関係、母親としての責任、市民の形成を通して説明することが多い。この言葉遣いによって、女性の排除が政治共同体全体を損なうことを示せる反面、女性の自由が他者への貢献に一部依存しているようにも見えうる。女性はそれ自体として価値ある主体・判断者として認められているのか。それとも主に社会的な有用性を通じて平等に加えられているのか。本書はこの問いを立てる根拠を与えるが、単純な賛否に還元する必要はない。

補完的な読書として、メアリ・プーヴィの『The Proper Lady and the Woman Writer』を挙げたい。ウルストンクラフト、メアリ・シェリー、ジェイン・オースティンの作品を並べ、イデオロギーと文体の関係を考察する後世の文学研究である。これはFemResが提案する読書上のつながりであり、プーヴィの著作がウルストンクラフトに影響したという意味ではない。本文はProject Gutenbergの原文で読める。思想と受容の背景についてはスタンフォード哲学百科事典のウルストンクラフト項目も参照できる。

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