
セクシュアリティ · 書物
Ace:アセクシュアリティから考える欲望、社会、性の意味
原題Ace: What Asexuality Reveals About Desire, Society, and the Meaning of Sex
Angela Chenはアセクシュアルの人々の語りから、性的な惹かれが成熟や愛や「普通」の基準になることを問い、拒否と関係の違いから自由を考え直す。
書評と読書案内
Angela Chenの『Ace』は、しばしば見落とされる問いを中心に置く。性的な惹かれをほとんど、あるいは全く経験しない人は、なぜ欠陥がなく愛を理解できると他人に証明しなければならないのか。報道、文化批評、個人の語りを組み合わせ、アセクシュアリティの経験を社会を理解する知識として扱う。大多数の承認を待つ小さなアイデンティティとしてだけ扱わない。表現することもしないことも、性関係を持つことも持たないことも、自由の政治に含める。
英語原著は2020年に刊行された。本ページの書誌は2021年9月14日刊のBeacon Pressペーパーバック、ISBN 9780807014738に対応する。日本語表示の題名は編集訳であり、同名の日本語出版版を確認したという意味ではない。出版社の紹介と目次、公開された改編抜粋、著者インタビューに基づく読解である。
性的な惹かれは人生全体を決めない
まず、混同されやすい経験を分ける必要がある。美しいと思うこと、恋愛関係を望むこと、身体的な欲望を感じること、特定の人と性行為をしたいと思うことは、常に一緒に起こるわけではない。アセクシュアリティは禁欲と同義でもない。禁欲は行動の選択で、性的な惹かれは経験に関わる。恋愛を望む人も望まない人も、性行為をする人もしない人もいる。アイデンティティが生活のすべてを決めることはない。
目次は「自己」「主題の変奏」「他者」の三部を通じ、自分の経験を認識することから規範や他人との関係へ進む。用語は単なるラベルではなく、それまでの人生を読み直す道具になる。冷淡、未熟、親密さの失敗とされてきたことに、身体を既成の答えへ合わせるのではなく、別の問いが必要かもしれない。
ここで性的であることを求める規範とは、普通の大人は性的に惹かれ、親密さは性によって証明され、そうでない経験には原因や修復が必要だとする期待を指す。性生活を持つ全員を抑圧者と呼ぶ概念ではなく、文化規範を個々の性暴力と同一視するものでもない。ある人には説明を求め、別の人の経験を説明不要の基準にするところにその力がある。
純潔も性欲を要求することがある
『The Common』の対話でChenは、本書の取材協力者Hunterを取り上げる。宗教的環境で婚前の禁欲を求められながら、結婚後の性は幸福な贈り物になると期待していた。経験がその約束に合わず、大人として、男性として十分なのかと疑った。性行動を抑えることが、性的に惹かれない経験を認めるとは限らない。同じ規範が先に我慢を求め、後に楽しむことを求める場合がある。
この話は宗教が必ずアセクシュアリティに敵対すると証明するものではない。いつ、どの関係で、どう欲望を示すべきかという特定の時間割を明らかにする。出版社の質疑応答では、男性が性的な会話や能力の誇示で集団の承認を得ることも論じる。許されているように見える欲望が義務になることもある。その圧力を認めても、女性や他の集団への異なる規律が消えるわけではない。
女性の欲望を認めることとアセクシュアリティを認めることは競合する政治ではない。どちらも、なぜ性の経験が人格の証明を担うのかを問う。望む人を辱めず、望まない人を修理しようとしない。それは全員の経験が同じだということではなく、違いに条件なしの尊重を与えることだ。
愛は拒否する権利をなくさない
Autostraddleで公開された改編抜粋は、安定した恋愛や結婚の中の同意を扱う。病気や相手のひどい扱いは断る理由として認められやすいが、関係が良好で相手も優しければ「したくない」だけでは不十分と判断されることがある。愛が性を差し出す義務の証拠になる。Chenは拒否を親密さの内部へ戻す。関係に入っても、相手の身体への権利は生まれない。
抜粋は、本人が自ら選ぶことと、圧力を終わらせるために応じることを分ける。毎回同じ強さの熱意を示すかではなく、本当に断れるか、何を選んでいるかが重要となる。この区別でアセクシュアルの同意能力を否定しても、相手が従うことを自発性へ読み替えてもいけない。外見の似た行動でも、選択の条件は違いうる。
不一致には必ずしも悪者がいない。Chenは、性が重要な人もいて、差異が実際の苦痛を生むと認める。別れることは、相手が愛される資格を得るために変わるべきだという意味ではない。FemResはここから、拒否、話し合い、退出をともに守る必要を読む。必要があることは他人の身体を求める権利にはならない。この関連づけは診断でも、全てのカップルへの処方でもない。
誰が説明するのか
『The Asexual Agenda』で著者は報道の語りの緊張を論じる。物語は抽象的規範の実際の影響を見せるが、大衆向けの一冊に全員を代表する責任が載ることもある。コミュニティは一枚岩ではなく、一冊が互いに批判し合う知識の蓄積に代わることはできない。読みやすさは他の声へ進む入口であり、「本物」のアセクシュアルかを判定する試験ではない。
その限界はFemResの配読にも当てはまる。愛と欲望は不可分という命題を訂正する道具にするだけでは不十分で、自己定義、差異、喜び自体が中心に残るべきだ。出版社紹介は障害、人種、ジェンダー表現の異なる人の経験を含むとするが、公開資料から取材に応じた全員を要約したり、すべての交差する立場を網羅すると主張したりはできない。
『明日のセックスはまた良くなる』と対読し、欲望を完全に知るべきだという要求と、欲望を持つべきだという要求を比較したい。『障害は無性愛を意味しない』は他人が障害女性の性や生殖の経験を消すことに反対し、Chenはアセクシュアルの人自身が生活を名づけることを支える。他人に代わって決めない点は共通しても、互いの代用にはならない。
出典と読解の範囲。 Beacon Pressの紹介と目次、ペーパーバック書誌、同意を扱う改編抜粋、『The Common』の対話、『The Asexual Agenda』の対話、出版社の質疑応答。公開資料に基づく編集読解である。
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