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わたしたちが救えるもの

気候正義 · 書物

わたしたちが救えるもの

原題All We Can Save

著者Ayana Elizabeth Johnson and Katharine K. Wilkinson

女性科学者、政策実践者、詩人、組織者の声を集め、気候行動をリーダーシップ、喪失、集団的想像の問題として描く。本書は「Root」から「Rise」へと進み、内省と関係性を、訴訟、エネルギー政策、食料システム、海洋、運動戦略、政治変革と並べる。

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書評と読書案内

2020年刊の『わたしたちが救えるもの』は、海洋生物学者 Ayana Elizabeth Johnson と気候戦略家 Katharine K. Wilkinson が編集し、気候分野で活動する60人の女性による論考、詩、アートを集めた一冊である。科学者、法律家、政策設計者、農業者、オーガナイザー、記者、芸術家、先住民のリーダーを同じ本に置くのは、「優れた女性」の名簿を作るためではない。生活の全領域を組み替える危機は、単一の専門分野では説明も解決もできないからだ。

本書は「Root」から「Rise」へと進み、内省と関係性を、訴訟、エネルギー政策、食料システム、海洋、運動戦略、政治変革と並べる。Xiye Bastida、Sherri Mitchell、Rhiana Gunn-Wright、Leah Penniman、Tara Houska、Kate Marvel、adrienne maree brown らは、統一された気候綱領を提示しているわけではない。地域社会が土地を守る場面から政府がインフラを再設計する場面まで、異なる知が異なる規模でどう働くかを示している。

中心にあるフェミニズムの介入は、権力とリーダーシップを問い直すことだ。女性や少女は、気候災害に伴う貧困、移動、ケア負担を不均衡に引き受ける一方、資本、科学、政策の優先順位を決める場から排除されやすい。本書は協働、説明責任、創造性、ケアを重視するが、それらを女性に生得的な資質として読むべきではない。政治的な価値は、その実践を育てる制度にあり、「女性のほうが道徳的だ」という本質主義にはない。

この区別は重要である。気候政治は少数の女性英雄を称賛しながら、採掘の秩序を温存できてしまうからだ。力強い論考ほど、ジェンダーを人種、先住民性、階級、労働、障害、地理、植民地史と交差させ、土地を所有するのは誰か、汚染された空気を吸うのは誰か、災害を無償・低賃金の労働で吸収するのは誰か、どの「解決策」が新たな犠牲地域をつくるのかを問う。ここで気候正義は多様性の装飾ではなく、資源、決定権、損失の評価をめぐる争いである。

感情もまた政治的能力の一部として扱われる。悲嘆、恐怖、怒り、愛、喜び、決意は、隠すべき私的な雑音でも、政策の代用品でもない。それらは、人が運動にとどまり、長期にわたって組織し、力を築けるかどうかを左右する。詩と個人的な語りは専門家の声を中断し、悲しみを苦難の見世物にせず、希望を根拠のない楽観にせずに共有する場所を開く。

アンソロジーとしての強みは、単一の命題を厳密に証明することよりも、複数の声を併置することにある。裁判、選挙と政策、直接行動、文化的物語、生態系の修復、相互ケアなど、寄稿者が重視する手段は異なり、その摩擦こそが有益だ。刊行後に生まれた読書サークルや教材も、暗黙の方法を可視化している。知識は共同の熟議に入り、各地の行動へ翻訳されて初めて政治的な結果を持つ。

同時に、その広さは限界でもある。主な舞台は米国であり、60人の声は編集による選択であって、世界の気候運動の完全な地図ではない。短い文章では、すべての実証的主張や戦略上の論争を十分に検討できない。「女性的」リーダーシップという語も、構造分析から切り離せば本質主義へ滑りやすく、代表者が増えたことを資源の再分配と取り違える危険がある。誰が選ばれず、その不在が何を示すのかも読む必要がある。

本書は、最初から最後まで義務的に読み通す本でも、感動的な女性名鑑でもない。一つのセクションを選び、各著者がどの規模で行動しているかを見極め、自分の地域の気候研究、先住民の知、前線の組織活動と組み合わせるとよい。そのうえで、誰が決めるのか、誰が代償を負うのか、どのような関係を持続させれば「未来を救う」名目で過去の不正義を反復せずに済むのかを問い続けたい。

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