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草が生えるかぎり

先住民主権 · 書物

草が生えるかぎり

原題As Long as Grass Grows

著者Dina Gilio-Whitaker

条約、土地収奪、食と水、聖地、Standing Rock をたどり、先住民主権を中心に環境正義を組み直す。

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書評と読書案内

『草が生えるかぎり』という題名は、永続性を約束した条約の言葉を想起させ、その約束を政府がいかに破り続けたかを問う。Dina Gilio-Whitaker は植民地化と土地侵奪から、食、水、聖地をめぐる闘い、Standing Rock までをたどり、「先住民化された環境正義」を提唱する。既存の枠組みに先住民事例を追加するのではない。先住民族にとって環境不正義は、汚染の不平等な配分だけでなく、領土の収奪、条約違反、政治的主権の否定から始まると出発点を変える。

米国の環境正義運動は、有害施設が低所得の有色人種地域へ集中することを示してきた。著者はその伝統を評価しながら、法と政策が人種化された個人や地域を認めても、条約関係、領土権、管轄権を持つ政治的な民族として部族を扱いにくいと指摘する。汚染除去、住民参加、健康改善は重要だが、土地の統制が変わらなければ植民地関係は残る。主権、管轄、文化の継続、土地返還こそ環境正義の中心である。

本書は主流環境主義の純粋な「原生自然」という幻想も批判する。国立公園や保護区は無人ではなく、生態系を長く管理した人々を追放して自然の聖域とされた場所が多い。文化的な野焼き、採集、狩猟、食物栽培は禁じられ、先住民の営みは破壊、入植者の余暇や国家管理は保全とされた。この歴史を拒む自然保護は、緑の言葉で植民地化を続けうる。生態系の修復には、土地に根ざす知識と、それを実践する政治権力の双方が必要だ。

女性は自然に近い象徴的守護者としてではなく、組織者、知識保持者、親族関係の維持者として描かれる。水と聖地の保護、食物体系、文化伝承における先住民女性の指導と、資源採掘や軍事化された警察活動に伴うジェンダー暴力が結びつく。植民地統治はキリスト教的家族規範、財産・相続法、連邦の身分定義を通じてジェンダー権力を作り替えた。身体の自己決定、暴力からの自由、領土主権は切り離せない。誰が生態的ケアを担い、決定から排除され、土地を守る際に国家暴力を受けるのかがフェミニズムの問いとなる。

Standing Rock はこれらを集中して示す。外部メディアは Dakota Access Pipeline への抵抗を 2016 年に突然生じた抗議として描きがちだが、本書は何世紀もの条約闘争と組織化の中に置く。水の保護者が争ったのは流出確率だけではない。十分な同意なしに政府と企業が祖先の土地と水源へ施設を通せる理由を問うた。部族を越えた連帯、若者と女性の指導、祈りと直接行動は、環境政治を資源、法、記憶、関係再生の闘いとして示す。

広い総合には注意も必要である。北米の先住民族が一つの生態哲学を共有するわけではなく、各共同体にもジェンダー、階級、採掘、開発をめぐる意見の違いがある。「伝統的生態知識」を具体的な民族、手続き、知識を公開しない権利から切り離せば、外部の環境運動が再び抽出することになる。女性の指導を称えるだけでは、不平等な無償ケア負担を美化しかねない。本書の歴史・政策枠組みは、各民族自身の土地、法、戦略の説明に代わらない。

FemRes の読者は、すべての「グリーン」な計画を主権関係へ戻して評価できる。土地を持つのは誰か、同意または拒否できるのは誰か、保全を定義し、エネルギーや観光から利益を得るのは誰か。炭素を減らす政策でも、採掘、送電線、保護区によって先住民領土を再占有しうる。先住民フェミニズム、Land Back、行方不明・殺害された先住民女性をめぐる運動、各地の条約史と併読したい。本書はエコフェミニズムを抽象的な女性—自然の結合から、土地、身体、政治権力の連動した収奪と回復へ移す。

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