FemRes成長し続けるレビュー
ケアリング・デモクラシー:市場・平等・正義

ケア経済 · 書物

ケアリング・デモクラシー:市場・平等・正義

原題Caring Democracy: Markets, Equality, and Justice

著者Joan C. Tronto

Joan C. Tronto はケアを私的な美徳ではなく民主社会の中心的な公共課題として捉え、生命を支える仕事を誰が担い、誰が免れ、市場がどのようにケアの赤字を生むのかを問う。

01

書評と読書案内

『ケアリング・デモクラシー』は、政治理論がしばしば視野の外へ追いやってきた事実から出発する。どの社会も、子どもに食事を与え、病者を看護し、障害者を支え、高齢者に寄り添い、住居や地域や公共環境を維持しなければ、「自律した市民」を成立させることはできない。ケアは経済の外側に残された情緒ではなく、生産、市場、民主的参加を可能にする条件である。Joan C. Tronto は、個人が十分に思いやりを持つかではなく、制度がケアの責任、資源、決定権をどう配分するかを問う。

彼女のいう「特権的無責任」は、権力を持つ人が自らの依存を見えなくできる構造を指す。掃除、育児、介護、感情的支援を女性、移民、低賃金労働者、家族内の弱い立場の者に委ねながら、自分を完全に独立した存在だと考え続けられる。ケアする側は労働だけでなく、時間の欠乏、所得の喪失、キャリアの中断まで引き受ける。ジェンダー不平等は古い意識の問題だけではなく、一部の人の自由が他者の恒常的な利用可能性によって支えられる仕組みなのである。

Tronto の市場批判は、金銭が必ずケアを汚すという主張ではない。効率、測定可能な成果、消費者の選択が主要な尺度になると、標準化しにくい関係的な仕事ほど圧縮されることを問題にする。乳児、重い病気の人、認知機能が低下した高齢者は、常に市場の主権的な選択者として行動できるわけではない。ケアを家庭と市場に任せれば、裕福な人は安心を購入できる一方、資源の少ない人は疲弊した家族と不安定な労働者に依存し、階級、人種、移民資格、ジェンダーの不平等が重なる。

本書の最も力強い提案は、ケアそのものを民主化することだ。Tronto は、必要に気づき、責任を引き受け、実際の仕事を行い、受け手の応答を受け取り、責任を共同で分担する一連の過程としてケアを捉える。良いケアを管理者だけが定義してはならず、ケアする人の犠牲を美化してもならない。ケアを受ける人の知識、担い手の労働条件、地域の資源配分が公共的な意思決定に含まれるべきである。ここで民主主義とは投票だけでなく、互いの生活をどう支えるかを共同で決める日常的能力である。

この枠組みは、女性の有償労働への参加だけを解放とみなす物語も修正する。家庭内ケアが所得や在留資格のより不安定な女性へ移されるだけなら、平等は達成されない。公共的な保育と長期ケア、適正な労働時間、労働権、共有できる社会基盤が必要であり、男性と資源を持つ制度も実質的責任を負わなければならない。ケア政策は福祉の周辺問題ではなく、自由、平等、市民権の意味を測る中心的な課題となる。

本書はそのまま導入できる政策一覧ではなく、財源、グローバル・ケア・チェーン、障害、文化によって異なる親族関係についてはさらに議論が必要である。それでも、効率や選択を掲げる改革に対して、誰の必要が見え、誰が費用を負い、誰が拒否でき、失敗したケアを修正する声を誰が持つのかを問うための強い道具を与える。Tronto が描く民主主義の主体は、架空の独立した個人ではなく、相互依存を現実として制度をつくる人々である。

読者の声

読者ノート

読後の考えや、さらに追いたい手がかりを共有してください。

ディスカッションに参加

コメント

コメントを読み込み中...

サポート

このコンテンツがお役に立ちましたら

FemResを支援