
フェミニスト安全保障研究 · 書物
フェミニスト安全保障研究
原題Feminist Security Studies
Annick T. R. Wibben は物語分析を通じ、安全の語りが脅威と対応を定め、異なる立場の経験を排除する仕組みを問う。
書評と読書案内
『フェミニスト安全保障研究——ナラティブ・アプローチ』が問うのは、社会が何を脅威と呼ぶかだけではない。ある危険の説明がいかに常識となり、その安全が誰を守るために作られているのかである。Annick T. R. Wibben の介入は、既存の学問に女性を「加える」ことにとどまらない。安全をめぐる語りは、脅威、守られる対象、保護を担う主体、必要とされる手段を配置する。議題だけを替えてこの構造を残せば、その政治性も残りうる。
本書は物語論を権力分析の方法にする。ナラティブは誰かが話す物語だけではない。出来事の順序、因果、視点、登場人物、結末が、ある行動を妥当とし、別の可能性を想像しにくくする。Wibben は出来事がどの視点から提示されるかを示す「焦点化」に注目し、誰が事件を枠づけ、その外側にどんな歴史が残るかを問う。周縁化された人が引用されているかだけでなく、その経験が安全の尺度や時間軸、定義そのものを変えられるかが重要になる。
冒頭では、2001年9月11日をめぐる米国の支配的な語りと、Moira と Delia の語りを並べて方法を示す。二人は Cheryl Mattingly らが記録したアフリカ系アメリカ人の母親である。彼女たちの人生は、国家的転換点を中心に同じ時間軸へ並ばない。出版社の試読部分では、子どもの髪を整える、保育施設へ送り届ける、家族をそばに置くといった日々のケアが、重い病、死別、夫の脳卒中、近隣の暴力、障害のある親族への不安と並んで語られる。これは9・11が重要でないという証明でも、すべての黒人女性を代表する話でもない。むしろ、国民的な時間軸が、続いている不均等な日常の不安をどう見えなくするかを示す。国家と対人の暴力を知る人びとには、軍事報復という既定の応答も違って見えうる。
ここに本書のフェミニスト的な貢献がある。日常の経験は戦略分析に添える感情的な例ではなく、戦略的枠組みが視野から外したものを明らかにする。ニュースとなった出来事より前から始まる語り、報復ではなくケアで終わる語りは、誰が脆弱とみなされ、誰が行為者となり、どの解決策が想像可能かを変える。Wibben は同時に方法上の倫理を問う。一つの語りは共同体全体を代表せず、誰かに発言を促すだけで、研究者、編集者、機関、聞き手がその声の届き方を左右する権力が消えるわけではない。
本書の構成も議論を映す。Wibben は全体をパッチワークにたとえ、フェミニズムのアイデンティティと知、セキュリティの意味の問い直し、物語論、安全の語り、フェミニストの代替的な語りを、一つの図柄へ縫い合わせる。出版社の試読は、「誰が知る主体として認められるのか」という政治から、9・11演説の分析を経て、安全保障言説の構造へ進む道筋を示す。順に読むと「安全保障研究を開く」とは脅威の一覧を増やすことだけではなく、何が知りうるのか、誰が権威を持つのか、どの主体を政治的とみなすのかという前提も変えることだとわかる。
ただし物語分析だけで、資源の分配やすべての制度的原因を測定・証明することはできず、資料や物質的証拠の代わりにもならない。周縁の立場から語られたという理由だけで、対抗的な物語を理想化すべきでもない。本書の事例は米国の9・11後の議論と2011年という出版時点に根ざす。アルゴリズム監視、気候の安全保障化、今日のSNSを本書の問いで分析することはできるが、それらは後年の現実に対する FemRes の応用であって、本書が扱うと主張している話題ではない。
読者は冒頭の9・11をめぐる対照的な語りから読み始め、「安全は物語として構成される」章とフェミニストの安全保障ナラティブを続けるとよい。現在の政策声明を一つ選び、脅威、保護対象、権限を与えられた主体、提案された対応、語りの視点、抜け落ちた歴史を書き出すのも有効だ。Laura Sjoberg と Caron E. Gentry の『母親・怪物・娼婦』と併読すると、ジェンダー化された枠組みが、政治的暴力を行う女性をどう理解可能/不可能にするかを比べられる。これは FemRes の比較読書案であり、直接の影響関係を示すものではない。
読者の声
読者ノート
読後の考えや、さらに追いたい手がかりを共有してください。
ディスカッションに参加
コメントを読み込み中...
サポート
このコンテンツがお役に立ちましたら


