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奴隷少女の生涯――ハリエット・A・ジェイコブズの証言

女性史 · 書物

奴隷少女の生涯――ハリエット・A・ジェイコブズの証言

原題Incidents in the Life of a Slave Girl, Written by Herself

著者ハリエット・A・ジェイコブズ

リンダ・ブレントの名で語るハリエット・ジェイコブズは、奴隷制が黒人女性の身体、母性、家族を支配する仕組みと、隠れること・働くこと・書くことによる生存と証言を描く。

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書評と読書案内

ハリエット・A・ジェイコブズの『奴隷少女の生涯』は、1861年に「リンダ・ブレント」の名で刊行され、奴隷制のもとで一人の女性がどう生き延びようとしたかを語る。副題の「本人によって書かれた」は、著者表示であると同時に主張でもある。とりわけ性的強制、母親であること、自分で選ぶことを語る黒人女性の証言は、信じるに値しないものとして退けられがちだった。ジェイコブズは苦痛を列挙するのではなく、奴隷制が労働、親密さ、親族関係、そして自分の人生を語る権利をどう統制するのかを分析する。

信頼性をめぐる闘い

ジェイコブズは序文で、この物語が実体験であることを読者に告げ、なぜ書くのかを説明する。本文を書いたのは彼女自身で、編集には奴隷制廃止運動家リディア・マリア・チャイルドが協力した。著者の序文、チャイルドの序文、本文を合わせて読む必要がある。チャイルドは一部を短縮し、人名を変更したと記している。協働によって本書は反奴隷制出版のネットワークに入ったが、同時に、黒人女性の自伝的な声が白人編集者と読者の期待を通じて公に届いたことも示している。この媒介を認識することはジェイコブズの著者性を消すことではないし、印刷された文章を編集の影響を受けないものとみなすことでもない。

この証言の選択は、作品の性政治と切り離せない。ジェイコブズによれば、主人のフリント医師は彼女が十五歳頃から性的に嫌がらせをし、監視、脅迫、処罰によって支配を強めた。その後、彼女は近隣農場の白人男性サンズと関係を持ち、子どもをもうける。この決断は、フリントによる所有の主張を妨げようとする、制約下の戦略として書かれている。奴隷制の権力関係から切り離された恋愛として描かれているのではない。彼女は、自分の生涯を白人の「真の女性らしさ」の理想に合わせて語り直すことを拒む。奴隷制は、奴隷にされた女性から拒否し、自分を守り、親密な関係を選ぶ実質的な力を奪っていた。彼女の選択を単純な道徳的失敗と判定するなら、作品が暴く二重基準を繰り返すことになる。

母であること、脅威、制約された選択

ジェイコブズは母親の恐怖を、奴隷制が機能する仕組みの一部として描く。子どもたちは安全な将来を持つ私的な家族の一員ではなく、フリントは彼らを農園へ送ると脅し、母親の愛情を服従させるために利用できる。だから、子どもから離れること、身を隠すこと、彼らを見守ろうとする努力を、「母が子を置いていった」という道徳譚に還元してはならない。母子の引き離しを処罰と支配の手段にする制度の内側で、彼女は子どもを守る限られた道を探している。祖母が子どもたちを世話することも、奴隷主の暴力だけではなく、黒人女性の親族関係と相互扶助を物語に刻み込む。

本書でもっとも印象に残る場所は、ジェイコブズが「逃れの隙間」と呼ぶ屋根裏の狭い空間だ。捕らえられるのを避けるため、彼女は祖母の家の屋根下にある低い屋根裏に七年間身を潜める。立ち上がることもできず、光も空気も限られ、小さな穴から子どもたちの様子を見る。そこはフリントの支配から一時的に距離をとり、姿を見せずに家族を見守る場所である一方、自由の代償を身体に刻む。身動きの取れなさ、痛み、孤立、日常からの切断が続く。ミシェル・バーナムの「逃れの隙間」と行為主体性に関する研究は、この空間を、抑圧構造の内部でジェイコブズが行為の余地を作る方法を読むための物語上の要所として扱う。屋根裏を抵抗の勝利として美化するのではなく、彼女がわずかな行動空間を得ながらも奴隷制の境界に拘束されていたことを見る必要がある。

北部に逃げても安全ではない

北部へ逃れた後も、逃亡奴隷法と奴隷捕獲人はジェイコブズを脅かし続ける。自由州に来ても、持続する安全や家族生活、捕らえられて連れ戻されない保障が自動的に得られるわけではない。彼女は身元を隠し、慎重に移動し、生計を立てることと家族を守ることの間で判断しなければならない。本書は「南部は奴隷制、北部は自由」という単純な地理的二分を拒む。法律、雇用関係、人種化された追跡が北部での生活も形作っており、逃亡は安全な場所への単純な到着ではない。

題名の「少女」も、これを個人の苦難だけの物語にしない。ジェイコブズは奴隷制が家庭生活とは無関係だと思いかねない北部の女性たちに向けて、抽象的な道徳的優越感ではなく制度そのものを理解するよう促す。性的嫌がらせについて書くとき、女性の身体を法律、財産、主人の権力と結びつける。子どもについて書くとき、売買の制度が家族をどう解体するかを示す。労働について書くときには、奴隷にされた女性のケア、洗濯、家事が奪われながら、彼女自身の労働として認められない仕組みを明らかにする。

本書はすべての奴隷にされた女性の経験を代表するものではなく、現代のフェミニスト宣言でもない。特定の北部読者に向けた反奴隷制の介入であり、ときに当時の「真の女性らしさ」という理想を用いて共感を求める。フェミニストとして読むときは、その戦略の力と限界を同時に捉えたい。ジェイコブズは黒人女性が保護を約束する女性性の理想から排除されていたことを読者に突きつける一方、公共の場で自らの主張を通すために、読者が聞き取れる当時の道徳言語のなかで論じなければならなかった。

ソジャーナ・トゥルースの自伝と読み比べると、二人が奴隷制、家族の分離、宗教言語をどう描くかを比べられる。メアリ・プリンスの語りも比較になるが、米国南部、カリブ海、英国それぞれの法と歴史の違いを混同してはならない。ジェイコブズの原作はProject Gutenbergの書誌ページで読める。屋根裏空間をめぐる研究についてはバーナム論文の書誌情報と要旨を参照。Project Gutenbergはこの電子テキストを米国でパブリックドメインと表示しているが、著作権の保護期間は国によって異なる。他地域で引用、複製、再利用する前に現地法を確認してほしい。FemResは電子書籍の入口ページを案内し、全文を再配布しない。

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