
歴史的文脈 · 書物
ノーマル・ウィメン:歴史を創った900年の女性たち
原題Normal Women: Nine Hundred Years of Making History
『ニューヨーク・タイムズ』ベストセラー作家であり、高名な歴史小説家であるフィリッパ・グレゴリーによる非虚構(ノンフィクション)の金字塔。イギリス史上、「平凡な」女性たちがいかに非凡な役割を果たしてきたかを根本的に定義し直した画期的な一冊。バイユーのタペストリーには女性よりも多くの男性器が描かれている? 1381年のワット・タイラーの乱は女性たちが始めた税金反対運動だった? ダーウィンは女性が退化して劣等になると信じていた? 人口の半分を占めながら歴史から消し去られてきた女性たちを、900年にわたるイギリス史の主役に据えた歴史的著作。
書評と読書案内
有名な11世紀の刺繍画「バイユーのタペストリー」には、女性よりも多くの「男性器」が描かれていることをご存知でしょうか。1381年に起きたイギリス最大の民衆蜂起「ワット・タイラーの乱(農民反乱)」が、実は女性への課税に抗議する女性たちによって引き起こされ、主導されたことを知っていますか。あるいは、あの高名な博物学者チャールズ・ダーウィンが、女性は本質的に男性より劣っているだけでなく、進化の過程でさらに劣等な存在になっていくと信じていたことを。これらは、フィリッパ・グレゴリーの『ノーマル・ウィメン』で遭遇する驚くべき発見のほんの一部に過ぎません。この野心的で画期的な著作において、彼女は900年以上にわたるイギリスの歴史を語り直し、人口の50%を占める女性たちを初めて主役の座に据えました。最も著名な歴史小説家の一人としての卓越した調査能力を駆使し、グレゴリーは裁判記録、新聞、日記などを精査し、歴史の中に埋もれていた女性の強盗や乞食、殺人犯や花嫁、主婦や海賊、男性として生きた女性や隠者たちを見つけ出しました。本書に登場する「ノーマル(普通)」な女性たちは、戦争に行き、畑を耕し、政治運動を行い、執筆し、そして愛しました。彼女たちは馬上で槍試合をし、戦闘機スピットファイアを操縦し、自ら通貨を発行し、船や工場、家を建てました。罪を犯し、反逆し、神を崇拝し、料理と看護に勤しみ、発明をし、そして頻繁に暴動を起こしました。学術的厳密さとナラティブ(語り)の魅力を兼ね備えた本作は、1066年から現代に至るまでの数世紀にわたる社会・文化の変化が、いかに女性たちの決意、粘り強さ、そして行動力によって推進されてきたかを記録しています。
フィリッパ・グレゴリー(1954年1月9日生まれ)は、1987年から活動を続けているイギリスを代表する歴史小説家です。ケニアのナイロビで生まれ、2歳の時にイギリスのブリストルに移住しました。サセックス大学で歴史を学び、エディンバラ大学で博士号を取得。博士課程を修了する中で執筆した処女作『光のなかの庭(Wideacre)』が大ヒットしました。2001年の『ブーリン家の姉妹(The Other Boleyn Girl)』は世界的なベストセラーとなり、2度映画化もされています。「イギリス歴史小説の女王」と称される彼女は、そのナラティブの才能と歴史研究の専門知識をノンフィクションの分野にも注ぎ込み、本作『ノーマル・ウィメン』を完成させました。900年にわたるイギリス史を周辺からではなく中心から書き換えた、彼女の「最高傑作」と呼ぶべき一冊です。
『ノーマル・ウィメン』の核心的な前提は、シンプルでありながら革命的です。すなわち「歴史は常に女性と男性が共に創ってきたが、歴史記述はほぼ男性だけに焦点を当ててきた」ということです。王、将軍、政治家、哲学者、芸術家。歴史に名を残す「偉大な人物」のほとんどは男性です。女性が登場する場合、それは王妃、愛人、母親といった、偉大な男性との関係性によって定義される脇役に過ぎません。王女や聖女、改革者といった例外的な女性でさえ「他の女性とは違う存在」として扱われがちです。そして、人口の半分を占めていたはずの一般の女性たち(農民、労働者、商人、職人、母親、活動家)は、歴史の記録からほとんど完全に消し去られてきました。グレゴリーのプロジェクトは、この巨大な「欠落」を修正することにあり、普通の女性たちが歴史の中に存在しただけでなく、能動的に歴史を形作ってきたことを示すことにあります。
本書は年代順に構成されており、1066年のノルマン・コンクエストから始まり、20世紀後半で終わります。各時代において、グレゴリーは女性の法的地位、経済的役割、社会的規範、そして政治参加について検証しています。彼女は一次資料および二次資料(裁判記録、遺言書、会計帳簿、手紙、日記、議会記録、新聞、回想録など)を広範に活用しました。忘れ去られたアーカイブを掘り起こし、歴史から消された女性たちの労働、葛藤、達成、そして抵抗の物語を見出し、再構築しました。
グレゴリーは、11世紀の「バイユーのタペストリー」から話を始めます。ノルマン・コンクエスト(ノルマン人によるイングランド征服)を描いたこの有名な刺繍画について、彼女はある衝撃的な事実を指摘します。タペストリーの中には、装飾用の裸体男性像を含め、女性像よりも多くの「男性器」が描かれているのです。この事実そのものが、いかに歴史の記録から女性が不在であるかを象徴しています。ほぼ間違いなく女性の手によって制作された作品(中世の刺繍はほぼ女性の仕事でした)においてさえ、女性の姿は男性器よりも少なくしか表現されていないのです。しかしグレゴリーは、視覚的な表現では不在であっても、ノルマン朝下のイングランドにおいて女性たちが社会・経済生活に不可欠な存在であったことを示します。中世において、女性は農作業に欠かせない労働力でした。彼女たちは耕し、種をまき、収穫し、家畜の世話をしました。中世経済において最も重要な産業の一つであった繊維生産を支えていたのも女性たちでした。彼女たちは醸造所、ベーカリー、居酒屋を経営しました。助産師、癒やし手、薬草医として働きました。中には商人や土地所有者、ギルド(同業者組合)のメンバーになる女性もいました。未亡人は、夫の財産や事業を相続すれば、かなりの経済的自立と権力を手にすることができました。グレゴリーは、15回もの地主として領地を管理し、法廷闘争に従事し、結婚交渉を行い、有能で力強い女性の姿を伝える豊かな書簡を残した15世紀の地主マーガレット・パストンのような女性たちを記録しています。
しかし、グレゴリーは中世の女性の生活を美化することもありません。彼女たちの法的地位は男性に対して厳格に従属させられていました。既婚女性は法律上「カヴァー(保護)」された存在と見なされ、その法的アイデンティティは夫に吸収されていました。財産を所有することも、契約を結ぶことも、(特別な場合を除いて)法廷で証言することもできませんでした。公的な権力の座、すなわち裁判官、陪審員、国会議員、聖職者といった地位からは排除されていました。女性に対する暴力は蔓延しており、処罰されることは稀でした。強姦罪は名目上存在していましたが、ほとんど施行されず、被害者が誘惑したとか同意したとか非難されるのが常でした。家庭内暴力は、妻を「規律づける」夫の権利と見なされていました。女性はまず父親に、次に夫に従うことを期待されていたのです。
グレゴリーが特に注目するのは、1381年の「ワット・タイラーの乱」です。イギリス史上最大規模の民衆蜂起の一つであるこの反乱について、彼女は長年無視されてきた事実を明らかにします。この蜂起を始め、推進したのは女性たちだったのです。きっかけは「人頭税」でした。収入に関わらずすべての成人から一律の額を徴収するこの税金は、貧困層に不当に重い負担を強いました。女性は男性の半分の賃金しか得ていなかったため、その負担はさらに過酷でした。さらに、徴税人は女性が本当に課税対象の成人であるかを「検査」すると称し、しばしば性的な嫌がらせや暴行を繰り返しました。女性たちの怒りが蜂起に火をつけました。彼女たちは徴税人を襲撃し、記録を焼き払い、コミュニティを率いて反乱を起こしました。蜂起は最終的に鎮圧されましたが、統治者たちは女性を含む民衆を際限なく搾取し虐待することはできないと認めざるを得なくなったのです。
宗教改革とその後の宗教的混乱は、一部の女性に新しい機会を与えた一方で、新しい制約ももたらしました。プロテスタントが神との個人的な関係や聖書の通読を重視したことは、一部の女性に宗教的な権威を主張することを可能にしました。女性たちは急進的なプロテスタント信者、説教者、殉教者となりました。しかし、プロテスタントは家父長制をも強化しました。夫が家長であり、妻は従うべき存在であると強調されたのです。ピューリタニズムは女性の精神性を理論上高く評価していましたが、実態としては女性の行動や表現を厳格に管理しました。17世紀の内戦とコムウェルス(共和国)の時代には、女性の政治的活動が爆発的に増加しました。女性たちはレビュラーズ(水平派)、ディガーズ(真正水平派)、第五王国派といった急進的な派閥に参加し、宗教の自由、政治的平等、経済的正義を要求しました。女性たちは請願書を書き、抗議活動を組織し、小冊子を発行しました。しかし1660年の王政復古とともに、これらの急進的な声は抑圧され、女性たちは再び従属的な地位へと押し戻されました。
18世紀には、中産階級を中心に女性の教育と識字率が向上しました。より多くの女性が読み書きできるようになり、小説家、詩人、劇作家、政治評論家として作品を出版する女性も現れました。メアリ・ウルストンクラフトの『女性の権利の擁護』(1792年)は、女性の理性的能力と教育の権利を論じた画期的なフェミニズム政治理論の著作となりました。しかし、この時期は「公私二元論(別個の領域)」のイデオロギーが強固になった時期でもありました。男性は公共の領域(政治、商業、知的生活)に属し、女性は私的な領域(家庭、子供、感情労働)に属するという信念です。女性は「家庭の天使」として、純潔で優しく、夫と子供に献身する存在として理想化されましたが、それは同時に公的活動からの排除を意味していました。
19世紀は巨大な矛盾の時代でした。産業革命は、劇的な社会・経済の変化をもたらしました。労働者階級の女性は大規模に工場、炭鉱、作業場へと入り込み、劣悪な環境で長時間働き、わずかな賃金を得ました。育児と家事は、有償労働と組み合わさって過酷な「二重の負担」となりました。一方で、中産階級の女性はいっそう家庭内に閉じ込められ、働くことは求められず(経済的にその必要がないため)、快適な家庭を築き子供を育てることに専念することを期待されました。この「家庭の天使」の理想はヴィクトリア朝時代に頂点に達しました。女性は純潔、敬虔、従順、そして家庭的であることが求められたのです。しかし、同時に女性たちは権利を求めて組織化を始めました。「第一波フェミニズム」が台頭し、教育、財産権、職業機会、そして最も有名な「参政権」を要求しました。サフラジスト(参政権拡張論者)たちは、穏健な合法路線から過激な実力行使まで、数十年にわたって運動を展開しました。彼女たちは行進し、請願し、ロビー活動を行い、時には公共物を破壊し、ハンガーストライキを決行しました。冷笑され、攻撃され、逮捕され、強制給餌を受けました。しかし彼女たちは屈することなく、ついに1918年(30歳以上の女性)と1928年(すべての成人女性)に参政権を勝ち取ったのです。
グレゴリーはまた、歴史上の女性たちの並外れた多様性と創造性についても明らかにしています。彼女は、男性として生き、働き、時には女性の「妻」と結婚した「女性の夫」と呼ばれる人々について記録しています。18世紀のカリブ海で船を略奪したアン・ボニーやメアリ・リードのような女性海賊についても。17世紀に街道で旅人を襲ったメアリ・フリスのような女性追い剥ぎについても。さらには、女性には向かないとされた社会の中で情熱を追求し続けた女性発明家、科学者、探検家たちについても。
20世紀には、女性の権利は飛躍的に進歩しました。参政権、財産権、離婚の権利、避妊と中絶の権利、同一労働同一賃金(少なくとも名目上は)、差別禁止法などです。二度の世界大戦は、伝統的な男性の職業(工場の作業員、看護師、さらにはスピットファイアを操縦するパイロットまで)を一時的に女性に開放しました。戦後、多くの女性が再び家庭へと押し戻されましたが、変化の種は蒔かれていました。1960年代から70年代の「女性解放運動(第二波フェミニズム)」は、残存する制約に挑戦し、性的自由、経済的自立、そして政治的な権力を主張しました。
しかし、グレゴリーは同時に、進歩は一律ではなく、不完全であり、時には逆行することさえあると強調しています。男女の賃金格差は依然として存在します。女性は依然として無償のケア労働や家事の不釣り合いな重荷を背負っています。性的暴力は蔓延したままです。政治、ビジネス、アカデミアのトップレベルにおいて女性は常に少数派です。そして21世紀、ネット上のハラスメント、「インセル」コミュニティ、フェミニストに対する暴力的な脅迫といった、新しい形態のミソジニー(女性蔑視)が出現しています。中絶から身体の安全まで、女性の権利は多くの場所で攻撃に晒されています。
グレゴリーの主張は、この「900年にわたる闘争、達成、後退、そして継続的な抵抗」の歴史を理解することこそが、現代のフェミニズムにとって不可欠であるというものです。普通の女性たちは、たとえその貢献が消し去られたり過小評価されたりしても、常に歴史を創ってきました。彼女たちは常に働き、戦い、発明し、執筆し、愛し、そして抵抗し続けてきました。歴史の教科書がそれを認めなくても、彼女たちは常に変化の主体であったのです。これらの物語を掘り起こし語ることで、グレゴリーは歴史の記録を修正するだけでなく、現代の女性たちに「あなたが最初に戦っているのではないし、あなたが最後でもない」というインスピレーションと肯定感を与えています。
歴史小説家として培われたグレゴリーのストーリーテリングの才能は、本作『ノーマル・ウィメン』を学術的に厳密でありながら、極めて読み応えのあるものにしています。中世の醸造家、テューダー朝の反逆者、ヴィクトリア朝の工場労働者、戦時のパイロットといった個人的なナラティブを織り交ぜることで、遠い過去が鮮やかに、そして自分たちの問題として感じられるようになっています。また、女性たちが直面した暴力、搾取、組織的な抑圧といった「醜い真実」からも目を背けません。しかし、そのトーンは究極的にはエンパワーメントを促すものです。巨大な障害にもかかわらず、女性たちは持続し、適応し、抵抗し、彼女たちの集団的な行動が歴史のコースを形作ってきたのです。
『ノーマル・ウィメン』は、歴史をジェンダーというレンズを通して書き換える「フェミニズム歴史学(ヒストリオグラフィー)」に対する多大な貢献です。あまりにも長い間、歴史は「ヒズ(彼の)・ストーリー」、すなわち男性の行動、男性の戦争、男性の達成に支配されてきました。フェミニズム史家たちはこれに異議を唱え、「ハー(彼女の)・ストーリー」もまた重要であり、普通の女性の生活や労働こそが、王や将軍と同じように歴史の核心であると主張してきました。グレゴリーの本はこの伝統を受け継ぐものであり、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの『第二の性』やゲルダ・ラーナーの『家父長制の創造』といった名著と並んで、女性を歴史の周辺から中心へと導こうとする試みの一つです。
世界のどこに住む読者にとっても、本書は普遍的な響きを持っています。イギリス史に焦点を当ててはいますが、そこで提起されている問いは文化を超えたものです。「歴史の中で女性はどのような役割を果たしたのか?」「なぜ彼女たちの貢献は組織的に過小評価され、消し去られてきたのか?」「いかにして女性の歴史を掘り起こし、語ることができるのか?」。古代の女性戦士や詩人から、現代の革命家や改革者に至るまで、あらゆる文化には、豊かでありながら放置されてきた女性の歴史が存在します。アーカイブを丹念に調べ、忘れ去られた声を見つけ出し、支配的なナラティブを書き換えるというグレゴリーの手法は、どこの国の女性の歴史を掘り起こし、顕彰する上でも一つのモデルとなるでしょう。
歴史小説家としてのナラティブの才能と、歴史家としての厳格さを併せ持つフィリッパ・グレゴリーは、学術的な金字塔であると同時に、心躍る読書体験をもたらす著作を作り上げました。女性史、イギリス史に興味がある人はもちろん、単に女性がいかに私たちが生きるこの世界を形作ってきたかを理解したいと願うすべての人にとって、『ノーマル・ウィメン』は必読の書です。それは女性の貢献への祝福であり、歴史の欠落の修正であり、そしてジェンダー正義のための闘いを継続せよという呼びかけでもあります。女性の仕事や達成が未だに無視されたり軽視されたりしがちな現代において、グレゴリーは私たちに思い出させてくれます。普通の女性たちは常に歴史の非凡な創り手であり続けてきたこと。そして彼女たちの物語こそが語られ、聞き届けられ、記憶されるに値するものであることを。
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