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敬虔の政治――イスラーム復興とフェミニズムの主体

アラブフェミニズム · 書物

敬虔の政治――イスラーム復興とフェミニズムの主体

原題Politics of Piety: The Islamic Revival and the Feminist Subject

著者Saba Mahmood

サバ・マフムードはカイロの女性モスク運動を通じ、主体性を規範への抵抗だけに限定するフェミニズムを問い直し、宗教実践が倫理的主体を形づくる過程を描く。

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書評と読書案内

カイロの女性モスク運動を対象とした民族誌的調査に基づく本書は、宗教講話を行い、聖典を学び、祈りや慎みの実践を培う女性たちを追う。マフムードが問うのは、外部から保守的と見なされがちな運動に女性がなぜ参加するのか、ということだけではない。参加者自身が実践をどう理解し、それが倫理的能力、人間関係、公共の宗教生活をどう形づくるのかを問う。この視点は、ムスリム女性を一枚岩の集団とみなし、「誤った意識」か普遍的な解放願望のどちらかで説明することを拒む。

本書の重要な理論的介入は、主体性を捉え直すことにある。フェミニズムの議論では、抵抗が自由な行為の最も明白な証拠とされ、規範を覆す、あるいはそこから逃れるときに主体性が可視化されやすい。マフムードは、女性が父権的と見なされる規範を自覚的に生きる場合、この枠組みが何を取りこぼすのかと問う。規範は無害だと主張するのでも、順応を別名で抵抗と呼ぶのでもない。権力関係の内側で、歴史的に特定の能力がどのように形成されるかを分析し、伝統からの自律を最高善としない生のあり方も視野に入れる。

だからこそ、身体実践は周辺的な細部ではない。アリストテレス倫理学、習慣、身体を通じた形成をめぐる議論を参照しながら、マフムードは反復される行為が、単に表現しているように見える性向そのものを培いうると論じる。祈り、慎みある身振り、自己規律は、感情や知覚、判断の仕方を形づくることがある。それらは完成済みの内面を示す外的なしるしにとどまらない。この議論は、公共の政治と私的な宗教という区分も揺さぶる。倫理的な自己形成は、抗議や国家権力、明示的な権利要求の形を取らなくても政治的な含意を持ちうる。

章構成はこの問いを民族誌の具体性につなぐ。「自由の主体」をめぐる理論的検討から始まり、敬虔運動の歴史と社会的布置、説得の教育法、儀礼の慣習をたどり、最後に主体性、ジェンダー、身体へ戻る。そこに描かれるのは抽象的な「ムスリム女性」ではなく、特定の運動と、参加者が教え、交流し、身体を鍛錬するなかで倫理的な主張を形づくる過程である。カイロの事例をイスラーム全体、すべてのエジプト女性、あるいは宗教的フェミニズム全般の代表とみなさないことが重要だ。

マフムードは改訂版の序文で、分析と賛同は別だと明確にする。参加者の倫理的プログラムをフェミニズムの模範として提示するのではなく、ある実践を解放的か抑圧的かと先に判定する反射をいったん保留し、権威、美徳、よく生きることについて参加者がどう考えるかを理解しようとする。この方法上の留保は政治からの撤退ではない。世俗リベラルな概念を普遍的な尺度とする前提を問い直す一方で、ジェンダー権力をどう批判し、変えていくのかという問いを残す。

その未決の問いは、本書の力であると同時に限界でもある。たとえばシンドレ・バングスタッドは、敬虔な女性たちの実践を通じて世俗フェミニズムを批判する際、その実践の歴史的形成への問いが十分でなく、文化相対主義に陥る危険があると批判した。後年の議論も、丁寧な解釈と政治的判断のあいだの緊張に立ち返っている。こうした論争を踏まえず、本書を父権制の擁護とも、あらゆるフェミニズム上の異論への回答とも読まないほうがよい。倫理的形成への精緻な注目によって、経済的不平等、国家権力、家族内の強制、宗教規範に異議を唱える人々が負う代償が相対的に見えにくくなる可能性もある。抵抗だけを主体性の唯一の指標にしないという警告と、これらの問いを同時に保つことが、責任ある読解につながる。

フェミニズムの読者にとって、本書の価値は完成された答えよりも問いの立て方にある。誰の自由の概念が自明視され、そこでどのような行為だけが主体的と認められるのか。宗教実践をただちに解放か支配へ翻訳すると、何が見えなくなるのか。本書は結論を代行せず、解釈する対象の生に対して、私たちの概念が負う責任を重くする。

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