
性暴力反対 · 書物
断罪:私のジャーナル、詩、夢、そして手紙 1980-2020
原題Reckoning
『トランスジェンダー回想録』や『ヴァギナ・モノローグ』の著者として知られるトニー賞受賞劇作家Vが、40年間にわたるジャーナルを編み上げた集大成。幼少期のトラウマから世界的なアクティビズムに至るまでの軌跡を、詩、散文、夢、手紙を交えた力強いコラージュとして描き出し、個人的な痛みをいかに集団的な力へと変容させ、自由を勝ち取るために自分自身を書き記していくかを提示している。
書評と読書案内
フェミニズムのアクティビズム(活動)の歴史において、個人的なトラウマを世界的な変革の力へとこれほどまでに見事に変容させた人物は、V(旧名イヴ・エンスラー)をおいて他にいないでしょう。彼女の名は、1996年の初演以来48言語に翻訳され、140カ国以上で上演されてきた画期的な戯曲『ヴァギナ・モノローグ』と不可分に結びついています。この作品は、女性の身体とセクシュアリティを巡るタブーを打ち砕き、何百万人もの人々に「声」を与えてきました。しかし、2023年に出版された『レコニング(断罪):私のジャーナル、詩、夢、そして手紙 1980-2020』において、Vはさらに深い旅へと読者を連れ出します。40年以上にわたる日記、詩、夢の記録、手紙を通じて、彼女がいかに幼少期の性的虐待を生き抜き、自己嫌悪を過激な自己愛へと変え、個人的な痛みから世界を変える運動を築き上げてきたかが綴られています。これは単なる回想録ではなく、いかに過去と向き合い(レコニング)、生存者のために語り、自分という存在そのものを書き記すことで自由を獲得するかを説くマニフェストです。
V(1953年生まれ)は、トニー賞受賞歴を持つ劇作家、作家、パフォーマー、そして活動家です。彼女は、女性や少女に対する暴力を根絶するための世界的な運動「V-Day」を創設しました。この運動は世界中で数千もの公演やイベントを組織し、暴力反対プロジェクトのために1億ドル以上の資金を集めてきました。また、200カ国でジェンダーに基づく暴力を終わらせるための世界最大の集団行動「ワン・ビリオン・ライジング(10億人の蜂起)」を立ち上げました。最も重要な功績の一つとして、2018年にノーベル平和賞を受賞したデニ・ムクウェゲ医師、活動家のクリスティーヌ・シュラー・デシュライバーと共に、コンゴ民主共和国に暴力被害女性のための革命的なセンター「シティ・オブ・ジョイ(喜びの街)」を共同設立したことが挙げられます。2023年1月にブルームズベリー社から出版された272ページに及ぶ本作は、Vの生涯にわたる仕事と省察の結晶であり、パブリッシャーズ・ウィークリー誌の「今シーズンの回想録トップ10」にも選ばれました。
『レコニング』の「形式」そのものが、一つの抵抗の行為です。これは、幼少期から成人期へと時系列に沿って進む直線的で整然とした回想録ではありません。代わりに、詩が散文と織り交ざり、夢が現実と融合し、過去が現在と対話する「コラージュ」のような構成をとっています。Vは40年間のジャーナルから断片を抽出し、極めて個人的であると同時に政治的にラジカルな、独自の物語形式を作り出しました。この形式は、トラウマの本質そのものを反映しています。トラウマは直線的なものではなく、断片的で、反復的で、突発的に侵入してくるものです。この構造を採用することで、Vはトラウマについて「語る」だけでなく、その生きた経験を書くことの「構造」を通じて体現しているのです。
本書の核心にあるのは、V自身の幼少期に対する清算、特に実父による性的虐待との向き合いです。彼女がこのトラウマを公に語るのは、これが初めてではありません。2019年の著書『ジ・アポロジー(謝罪)』では、父から決して受け取ることのなかった謝罪を、父の立場から想像して執筆しました。しかし本作において、彼女はトラウマがいかに自分の人生、身体イメージ、人間関係、アート、そしてアクティビズムを形作ってきたかをより直接的に直視しています。自己嫌悪がいかに存在の基盤となってしまったか、何年も鏡の中の自分を見ることができず、自分を根本的に汚れていて壊れていて、愛に値しない存在だと感じていた日々が、痛烈に描写されています。
しかし、Vのナラティブ(語り)は決して被害者性の場所にとどまりません。彼女は「書くこと」がいかに生存と癒やしのための道具となったかを示しています。幼い頃から日記をつけ続け、痛みだけでなく怒りや夢、正義への渇望を記録してきました。書くことは証言のアクト(行為)となり、「これは現実に起きたことであり、重要なことであり、私は耳を傾けられる権利がある」と宣言する手段となりました。時を経て、書くことは私的な行為から公的なパフォーマンスへ、ジャーナルから演劇へ、そして個人的な証言から集団的なエンパワーメントへと変容していったのです。
『ヴァギナ・モノローグ』の誕生は、まさにこの変容から生まれました。Vは女性たちに対し、その身体、セクシュアリティ、暴力の経験についてインタビューを始め、それらの物語を戯曲へと編み上げました。その革命的な力は、単にタブー視されていたトピックを扱ったことだけにあるのではありません。女性たちが自分の経験をオープンに話し、「ヴァギナ」という言葉を恥じることなく口にし、自らの身体の所有権を主張できる「空間」を創り出したことにあります。初演時、観客がどう反応するか分からず、恐怖と高揚感の中にいたとVは述懐しています。しかし、観客席の女性たちが笑い、泣き、共感して頷く姿を見たとき、彼女は自分が深遠で普遍的な何かに触れたことを確信しました。
『ヴァギナ・モノローグ』から、Vは「V-Day」というグローバルな運動を立ち上げました。クリエイティブなイベントや演劇公演を通じて、地域社会を動員し、現地の暴力反対団体への関心と資金を集める運動です。V-Dayは単なる慈善活動ではありません。それは、アートとアクションを世に問う、アクティビズムのラジカルな再構築です。「物語を語ること」の力を認識し、政治的な変化に先んじて文化的な変化が必要であることを理解した運動なのです。20年以上にわたり、V-Dayは世界中で1億ドル以上の資金を集め、数千のプロジェクトを支援し、コミュニティの対話のための数え切れないほどの場を創り出してきました。
本作の中で最も感動的な章の一つは、コンゴ民主共和国での活動に関するものです。コンゴ東部は世界最悪の性的暴力危機の地であり、毎年数十万人の女性がレイプの被害に遭っていると推定されています。そこではレイプが、女性の身体、精神、そしてコミュニティを意図的に破壊するための戦争の武器として使われています。2007年にVが初めてコンゴを訪れた際、彼女は目の当たりにした残虐行為に打ちのめされましたが、それ以上に、生存者の女性たちの強さと回復力に心を揺さぶられました。彼女は現地の活動家クリスティーヌ・シュラー・デシュライバー、そしてレイプ被害者の治療で後にノーベル平和賞を受賞するデニ・ムクウェゲ医師と提携し、「シティ・オブ・ジョイ(喜びの街)」を共同設立しました。
シティ・オブ・ジョイは、単なる避難所(シェルター)や治療センターではありません。毎年90人の生存女性を対象に、癒やし、教育、護身術の訓練、そしてコミュニティ構築のための場を提供する6カ月間のリーダーシップ・トレーニング・プログラムです。Vは、彼女たちの変容を描き出します。壊され、恥にまみれ、トラウマを抱えてやってきた女性たちが、6カ月におよぶセラピーと連帯、エンパワーメントを経て、リーダーとして、活動家として、変革の主役として巣立っていく姿です。彼女たちの多くは自分のコミュニティに戻り、団体を立ち上げ、政治の場に加わり、沈黙を破ります。Vは、この変容を目の当たりにすることが、自分自身の傷をも癒やしたと記しています。彼女たちが「犠牲者」から「生存者」へ、そして「戦士」へと歩む姿の中に、自分自身の癒やしの道を見出したのです。
しかし、Vはアクティビズムがもたらす代償についても正直に語ります。「共感疲労」、二次的トラウマ、そして暴力の物語に常に晒され続けることによる心理的負担。絶望に飲み込まれ、自分の仕事が本当に違いを生んでいるのかと自問する、燃え尽き(バーンアウト)の瞬間。また、グローバル・サウスで活動する白人の西洋人女性として、「救世主コンプレックス」をいかに回避し、現地の女性たちのリーダーシップに真摯に耳を傾け、従うかという複雑さ。自身の特権と限界を認識すること。こうした自己批判を厭わない姿勢こそが、本書の強みの一つです。Vは自分を完璧なヒーローとして提示するのではなく、常に学び、問い直し、より良くあろうと努め続ける一人の人間として描いています。
『レコニング』は身体との清算でもあります。Vは自らの肉体との複雑な関係について綴っています。幼少期の虐待がいかに自分を身体から疎外させたか、摂食障害、薬物使用、自己処罰としての危険な性的行動を通じて、いかに長年自分の身体を虐めてきたか。しかし同時に、ダンス、セクシュアリティ、妊娠と出産(彼女には息子がいます)、そして加齢を通じて、いかに身体を奪還してきたかについても記しています。彼女は、女性の身体がどう見えるべきか、どう振る舞うべきかという文化的な強制を拒絶します。トラウマの傷跡を抱えながらも、自らの身体の強さ、回復力、そして喜びを称えているのです。
政治的な意味において、本作は責任の追及(アカウンタビリティ)を求める呼びかけです。加害者、暴力を可能にしているシステム、そして暴力から利益を得ている機関に対して責任を問う必要性を説いています。コンゴでの性的暴力がいかにグローバル資本主義と結びついているか。コバルトやコルタン(私たちの携帯電話やコンピュータに使われる鉱物)を採掘する企業が、武装グループに資金を提供し、コミュニティを不安定化させ、暴力が蔓延する状況を作り出していること。気候変動がいかにジェンダー暴力を悪化させているか。環境災害が資源不足、強制移住、紛争を引き起こし、そのすべてが女性や少女をさらなる危険にさらしていること。彼女は、フェミニズムは個人のエンパワーメントだけに焦点を当てるのではなく、暴力を生み出し永続させている経済的・政治的構造そのものに挑戦しなければならないと主張します。
本書には、父、生存者、そして未来の自分など、様々な人物に宛てた手紙が含まれています。これらの手紙は対話の形式であり、未解決の人間関係や感情を整理するための手段です。最も強力なものの一つは父に宛てた手紙で、彼が与えた害を認めつつも、一人の人間としての彼の複雑さを理解しようと試みています。決して許すわけではありませんが、彼の振るった暴力が自分の存在すべてを定義することを拒否しています。彼女は、自分の物語を、自分の方法で、自分の目的のために語る権利を主張しているのです。
詩は『レコニング』に不可欠な要素です。Vの詩は鮮烈で、イメージが豊かで、感情的に生々しいものです。それは散文では表現しきれない瞬間――トラウマの断片、怒りの噴出、喜びの閃光――を捉えています。詩という形式は、曖昧さ、矛盾、多義性を許容し、人間の経験の複雑さをより真実に近い形で反映します。詩と散文を織り交ぜることで、Vは経験の豊かさと多様性を尊重する多声的なナラティブを創出しています。
フェミニズム理論の観点から見れば、本作は「個人的なことは政治的なことである」という古典的なフェミニズムの洞察を強力に実証しています。Vは、自分の個人的なトラウマが孤立した悲劇ではなく、家父長制的な暴力というシステム的なパターンの一部であることを示しています。自らの物語を、幼少期の性的虐待、レイプ・カルチャー、身体の客体化、女性の沈黙といった、相互に結びついた抑圧の広い文脈の中に位置づけています。同時に、個人的な物語の唯一無二の重要性も主張しています。生存者を統計や抽象的なカテゴリーに還元することを拒み、一人ひとりの生存者が独自の物語、痛み、そして強さを持っていることを強調しています。
Vの仕事は、インターセクショナル(交差層的)なフェミニズムの原則をも体現しています。ジェンダー暴力が人種差別、植民地主義、経済的搾取、環境破壊と密接に絡み合っていることを認識しています。コンゴでの活動は、植民地支配の歴史がいかに現在の危機を招いたか、そして世界経済がいかに紛争から利益を得ているかという理解に基づいています。女性に対する暴力を終わらせるには、単なる改革ではなく、システム全体の変革が必要であることを彼女は説いています。
『レコニング』はまた、物語る力への賛辞でもあります。Vは、物語には世界を変える力があると信じています。それは単に関心を高めるだけでなく、共感を育み、繋がりを築き、別の現実を想像させる力です。彼女のキャリア全体が、物語を収集し共有すること(『ヴァギナ・モノローグ』、その他の戯曲、そしてアクティビズム)の上に築かれています。女性が自らの物語を語り、他者によって定義されることを拒み、自らの経験に名前をつける権利を主張すること自体が、ラジカルな行為であることを彼女は示しています。女性を黙らせようとする世界において、大きな声で語ることは反逆なのです。
世界中の読者にとって、本作はトラウマ、癒やし、アクティビズムに関する深い洞察を提供し、文化を超えて共鳴します。Vの具体的な経験はアメリカの文脈に根ざしたものですが、彼女が探求するテーマ――幼少期の虐待、性的暴力、身体の自律性、女性同士の連帯、社会変革――はグローバルなものです。個人的な癒やしを集団的な行動と結びつける彼女のアプローチは、世界中の活動家にとって一つのモデルとなります。変革の道具としての「アート」への信頼は、文化と政治の関係を再考させてくれます。コンゴでの活動の描写は、フェミニズムがグローバルで連帯したものであるべきであり、私たちの闘いが互いに結びついていることを認識すべきだと教えてくれます。
責任の追及(アカウンタビリティ)に対するVの主張は、現代の議論において特に重要です。#MeToo運動を経て、加害者の責任をどう問い、生存者をどう支え、将来の暴力をどう防ぐかという問いは切実なものとなりました。Vは、個々の加害者だけでなく、法律、文化的規範、経済構造、政治制度といった、暴力を可能にしている「システム」全体に焦点を当てるモデルを提示しています。彼女の仕事は、真の責任追及には個人の処罰だけでなく、システムとしての変化が必要であることを示しています。
『レコニング』は、決して読みやすい本ではありません。読者に対し、苦痛に満ちた真実と向き合い、不快感に耐え、自らの前提を疑うことを要求します。しかし、同時にこれは希望の書でもあります。Vは、トラウマを否定したり忘れたりするのではなく、それを直視し、プロセスを経て、自らの人生のナラティブに統合していくことで、癒やしが可能であることを示しています。一人の人間が世界に多大な影響を与え得ることを、英雄的な単独行動としてではなく、他者と繋がり、運動を築き、数十年にわたって粘り強く活動し続けることで証明しています。アートとアクティビズムがいかに互いを養い合い、創造性がいかに生存と抵抗の形になり得るかを示しているのです。
結びに、Vは愛、喪失、粘り強さ、そして変化について学んだことを振り返っています。仕事はまだ道半ばであり、暴力は続き、闘いは終わらないことを認めています。しかし同時に、達成されてきたこと――何百万人もの女性が自分の声を見つけ、何千ものコミュニティが暴力に対して立ち上がり、数え切れないほどの生存者が癒やしと強さを見出したこと――を祝福しています。彼女は読者に対し、この進行中の旅に参加するよう呼びかけています。自らの物語を語り、責任を追及し、暴力のない世界を想像し、創造すること。
Vの『レコニング』は記念碑的な著作です。個人的な証言であると同時に政治的なマニフェストであり、芸術的創造であると同時に行動への呼びかけでもあります。一人の作家であり活動家が、いかに生涯にわたる痛みを変化の力へ、個人的なトラウマを集団的な癒やしへ、そして沈黙を歌へと変えてきたか。フェミニズム、アクティビズム、トラウマからの生存、あるいは単に「壊されることを拒んだ一人の女性の非凡な人生」に興味があるすべての人にとって、本書は必読の書です。レコニング(清算)とは単に過去を振り返ることではなく、未来を創ることであると教えてくれます。私たちが皆、十分に存在し、真実を語り、正義を要求できる未来を。Vが書いているように、「私は自分という存在を書き記す(I write myself into existence)」のです。これは私たち全員への招待状です。自分自身の物語を書き、自らの過去と向き合い、私たちが住みたいと願う世界を創り上げていくための。
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