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内なる革命:自尊の本

フェミニスト理論 · 書物

内なる革命:自尊の本

原題Revolution from Within: A Book of Self-Esteem

著者グロリア・スタイネム

グロリア・スタイネムは自尊を自己決定の感覚と公共の権力に結びつけ、幼少期、身体、愛情の経験から、不平等のなかで行動する余地を問う。

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書評と読書案内

グロリア・スタイネムの『内なる革命:自尊の本』は、回想、社会批評、自己啓発的な実践を組み合わせた本だ。中心にあるのは「自分を信じれば抑圧が消える」という主張ではない。自分の判断を信頼し、自分の価値を認めることは、不公正な制度に向き合う力とどう結びつくのか。スタイネムは自己への権威と不正な外部権力を結び、内面の経験と公共の変化を同じ政治的な問いに置こうとする。

章立ては、自尊とは何かという問いから、幼少期、学び直し、身体、恋愛、そして「普遍的な私」へと進み、最後に瞑想の手引きと読書案内を添える。単一の心理学理論で整然と説明するのではなく、自身の経験、他者の語り、社会観察、実践的な提案を交差させる構成だ。読みやすさを生む一方、読者には、逸話が権力の経験を照らすことと、すべての女性の経験を証明することを区別する慎重さも求める。

その方法がよく表れるのが、プラザ・ホテルのレストラン、オーク・ルームをめぐるスタイネム自身のためらいだ。昼食時に女性を排除していた店の前で、女性医師とフェミニストの仲間が抗議したとき、彼女は当初、参加を断った。高価なレストランでの抗議は、フェミニズムを中流階級の些事とする報道を助けると恐れたからだ。後に彼女は、他の運動の抗議には戦術的な不完全さを許していたのに、性差別に異議を唱える女性には完璧さを求めていたと気づく。そのためらいを、性差別をより軽い問題と見なす学習の痕跡として読む。ただし、人種、階級、ジェンダーの歴史を同じ経験に還元してはならない。本書におけるスタイネムの回想

別のプラザ・ホテルの出来事では、自尊が行為として現れる。記者として働き始めた頃、スタイネムはホテルのロビーにいる資格がないかのように扱われ、屈辱を覚えたという。後に似た妨害に直面すると、彼女は性別に基づく規則をはっきり問い返し、その場にとどまることができた。彼女は変化を自尊の高まりに結びつけるが、行為は真空のなかで起こらない。公共空間を誰が管理し、どのような身分が勝手に想定され、周囲から支えがあるかが、声を上げられる可能性を左右する。この逸話は、個人の意志が制度を置き換える証明ではなく、自分の判断への信頼が服従を拒む行為へ変わる瞬間を示している。

幼少期、教育、文化表象も本書では単なる私的背景ではない。新版の序文でスタイネムは、子どもの頃に大人や教師から話を聴いてもらった記憶、そして早い時期の屈辱が後年まで残る経験を、読者たちから聞いたと記す。職場の人種・ジェンダー格差、結婚、メディア表象についての会話も書き留める。そこで問われるのは、誰が権威として描かれ、誰が若く美しくあることを求められ、有色人種がどのように画面から消されるのかだ。自尊は社会関係から切り離された内的資源ではなく、知識を持つ者、働く者、公共の主体として認められる機会と結びつく。

「知の身体」と「ロマンス対愛」は、身体、自己評価、親密さを文化規範のなかに置いて考える入口になる。1992年の書評は、ロマンティックな愛の観念と非現実的な美の理想が女性の自己評価を妨げるという議論に注目した。ただし、この部分は身体政治の完成された理論というより、文化批評と個人の内省が交わる箇所として読むのが適切だ。同時代の『Kirkus Reviews』書評は、回想、自己啓発、文化批評の混合として本書を捉えつつ、助言の新しさには疑問を呈している。

スタイネムは、カリフォルニア州の自尊促進タスクフォースも取り上げる。その設立を進めた議員は、自尊をさまざまな社会問題の予防「ワクチン」として説明し、報道は政府が柔らかな題目に予算を投じることを嘲笑した。この出来事には二つの危険が見える。公共政策が屈辱、排除、成長条件を無視すれば、制度が生む被害は個人の欠陥にされる。一方、失業、暴力、教育格差のすべてを「自尊の不足」で説明すれば、構造問題が心理化されかねない。内面を政治の議論に戻すことは重要だが、資源、権利、制度への問いに取って代わるものではない。

「普遍的な私」は、本書の最も力強く、最も議論の余地がある概念だ。スタイネムは、個人の語りがジェンダー、人種、階級、世代を越えて他者を理解する入口になりうると考える。序文でも人種、階級、セクシュアリティ、エスニシティが経験を変えることに触れている。それでも「誰もが共感できる」を「誰もが同じ経験をする」と読み替えてはならない。フェミニズムの読者は共感の政治的な力を認めながら、誰の物語が普遍とされ、誰が自分の立場をさらに説明しなくてはならないのかを問い続けられる。

この論争は出版当時から存在した。1992年の『Time』の記事は、個人の変化と政治を結ぶことがフェミニズムからの後退なのかをめぐる議論を記録し、『Washington Post』の書評は、自尊に戦争や抑圧まで説明させすぎていないかと疑問を呈した。これは特定の同時代批評であり、学界全体の一致した評価ではない。今日、本書から持ち帰れる問いは「どうすればもっと自信がつくか」だけではなく、どのような関係や制度が、自分の経験を信じ、侮辱を拒み、他者と変化に加わる条件をつくるのかだ。ナオミ・ウルフの『美貌の神話:美のイメージはいかに女性を苦しめるか』と併読すれば、外見の規範が仕事や自己評価へ入り込む仕組みを検討できる。このレコードの ISBN 9780316812474 は Little, Brown の1993年ペーパーバックに対応し、原著は1992年に刊行された。版情報はGoogle Booksの書誌記録を参照。

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