
カーストとジェンダー · 書物
ベグンプラを求めて
原題Seeking Begumpura: The Social Vision of Anticaste Intellectuals
Gail Omvedt が描くベグンプラは、反カースト思想家たちの平等な社会構想であり、移動や公共空間へのアクセスを含む具体的な自由の地平である。
書評と読書案内
ベグンプラは「自由に歩ける」都市
『ベグンプラを求めて――反カースト知識人の社会構想』で Gail Omvedt が問うのは、反カースト思想家が何に反対したかだけでなく、どんな共同社会を築こうとしたかである。Ravidas の詩に結びつく「悲しみのない都市」ベグンプラは、出版社が公開する導論抜粋では、カーストも階級も、税や労苦、嫌がらせ、序列もない都市として描かれる。ダリットが居住区、町、村を自由に歩けることは、抽象的な平等の比喩ではない。カースト社会が日常の移動に課す制限を取り除き、自分の身体で公共空間を使う権利そのものを指している。
この視点は、何を「理論」とみなすかも広げる。Omvedt の導論では、歌、バクティの詩、宗教的異議、歴史叙述、運動の実践が、社会を組み替える構想として読まれる。導論はユートピアを、豊かさや喜びと、理性に導かれた行動を結ぶものとして説明する。希望が変革を望む理由を与え、歴史分析がそれを来世の約束にとどめない道筋を示す。著者が示す「マルクス―Phule―Ambedkar 派」の枠組みは、物質的搾取を重視しながら、カーストを階級だけに還元しない。抜粋は、Tukaram、Phule、Ambedkar が比較的な経済的上昇を得ても、カースト差別の経験から自由ではなかったと説明する。階級が重要でないという意味ではない。職業や所得だけでは、誰が烙印を押され、社会関係から排除され、対等な人として扱われないのかを捉えられないのである。反カーストの未来には、再分配だけでなく、序列を正当化する道徳や宗教規範への問い直しも必要になる。
連続ではなく、境界のある系譜
目次が扱うのは、単一の時代や思想ではない。Janabai、Kabir、Ravidas、Tukaram ら初期近世のバクティ思想家から、植民地期の Phule と Iyothee Thass、さらに Periyar や Ambedkar の政治的論争へと進む。導論はこれらを永遠に同じ「反カースト精神」としてまとめず、重なり合う歴史段階のなかで社会構想の形が変化したと説明する。初期の宗教的・詩的な平等の想像は、後代になるとカーストの歴史的形成を分析し、現世の制度を変える計画へと具体化する。「バクティ運動」とは何か、どの地域と時期を一つの運動と呼べるかという問い自体も、著者の方法の一部だ。
Omvedt はその地図の限界も明示する。彼女が論じる急進的バクティの交流圏はインド西部と北部を結ぶ一方、歴史的条件の異なる初期タミル・バクティ運動は別に扱われる。また、すべてのバクティ運動が一つの起源から始まったとする証拠はないという。広い系譜を読むとき、この限定は欠かせない。精英中心の歴史からこぼれた思想を回復する仕事は重要だが、南アジア全域の反カースト伝統を一枚の無継ぎ目の地図にすることとは違う。Navayana の目次は、Ravidas の Begumpura 構想を Gandhi の Ram Rajya、Nehru の社会主義、Savarkar の Hindu Rashtra などの構想と対照させている。
女性の共同体と法的平等
本書は具体的な政治課題を通して、ジェンダーを新しい社会の構想に組み込む。Omvedt は Pandita Ramabai を過渡的な人物として位置づけ、女性のユートピア共同体を築こうとした試みに触れる。また Ambedkar とヒンドゥー法典法案をめぐる議論では、婚姻とジェンダー平等が社会・経済改革の課題として現れる。カーストや階級の解消後までジェンダーを先送りできないことを示す論点だ。婚姻、社会関係、公共空間へのアクセス、未来を構想する権利は、反カースト社会の制度設計に含まれる。
ここで述べた歴史的枠組みと人物・思想の例は、Navayana が公開する導論抜粋と出版社の目次に基づく。思想史から具体的な生の経験へ進むなら 『Karukku』 を、カーストとジェンダーの結びつきをさらに考えるなら 『ジェンダー化されるカースト』 を併読できる。これは補完的な読書経路であり、著者間の影響関係を示すものではない。
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