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アフリカ女性たちのセックスライフ

アフリカ・フェミニズム · 書物

アフリカ女性たちのセックスライフ

原題The Sex Lives of African Women

著者Nana Darkoa Sekyiamah

一人称の証言を通じ、ナナ・ダルコア・セキアマは、アフリカやディアスポラの文脈で、欲望、宗教、クィアな生、トラウマが性の自由をどう形づくるかを探る。

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書評と読書案内

ナナ・ダルコア・セキアマの『アフリカ女性たちのセックスライフ』は、長年続くプロジェクト「アフリカ女性の寝室からの冒険」から生まれました。性を、外部の人が診断する問題ではなく、欲望や快楽、迷い、変化について女性自身が語ることで生まれる知として扱います。アフリカ大陸で暮らす女性とディアスポラの女性の声が並び、単一の「アフリカ女性」像ではなく、経験の複数性が本書の出発点になります。

評論家のフンガイ・マチロリは、2015年から2020年にかけて31か国の女性に行ったインタビューをもとに、著者自身の語りを含む32の物語が収められていると紹介しています。「自己発見」「自由」「癒やし」の三部構成は、経験にゆるやかな流れを与えますが、誰にでも当てはまる成長物語にはしません。一人称の証言に加え、著者が語り手と知り合った経緯や、なぜその会話が心に残ったのかも記されます。米国版ペーパーバックには読者への手紙と書き込みの問いが加わり、出版社の読書ガイドでセキアマは、編集者から自分自身の経験をさらに織り込むよう勧められたと語っています。つまり、これは中立を装う記録ではなく、聞き手の立場や編集の選択も見える語りの場です。マチロリの書評と出版社の著者Q&A・読書ガイドを参照しました。

本書のフェミニズム的な介入は、公共の記録に誰の知識を残すかにも関わります。アフリカ女性のセクシュアリティは、病気、生殖、暴力、あるいは「文化的後進性」を示すものとして語られがちで、快楽は消されるか危険の証拠とされます。セキアマはその図式を単純な肯定論に置き換えず、強制、宗教的な罪悪感、社会的圧力と、自分の望みを知ろうとする営みが共存することを描きます。シーレ・ツァンゲラ・マジブの精読は、母親として過ごした年月の後にBDSM、ポリアモリー、クィアなアイデンティティを探るヘレンや、福音派の教育から受け継いだ罪悪感と欲望のあいだで葛藤するナイジェリアの語り手ビビに注目します。ここで自由は、宗教、結婚、ケア労働をただ拒むことではありません。受け継いだ性の規範を、親密な関係や生活上の制約のなかでどう問い直すかが焦点です。マジブはこれらをシスジェンダーの異性愛規範との交渉として読みますが、それは評論家の立場からの解釈であり、すべての語り手に共通する意味ではありません。『Feminist Africa』掲載のマジブの論考を参照しました。

「自由」の章も、法的な権利と日常の安全を同一視しません。マジブが取り上げる南アフリカの語り手エボニーは、権利を保障する法制度があるにもかかわらず、女性を愛したことで「アフリカらしくない」と非難され、暴力をほのめかされた経験を語ります。著者Q&Aでもセキアマは、法的保護が公に生きる余地を広げても、それだけで社会関係が平等になるわけではないと述べています。同性愛嫌悪、性教育の不足、家族からの期待、親密な関係における力の差は、何を安全に話し、実践できるかを左右し続けます。国ごとに性の自由度を単純に順位づけるのではなく、法律、親族関係、宗教、地域社会、経済状況が、個々の生活のなかでどう作用するかを見る必要があります。

最後の「癒やし」も、トラウマがきれいに克服されるとは約束しません。マジブが論じるエチオピア系ディアスポラの語り手マリアム・ゲブレは、米国で移民女性と関わる仕事をするなかで他者の性暴力の経験を聞き、自分自身の幼少期の被害を認め始めます。ここで、他者の語りに耳を傾けることは、トラウマを成長の贈り物に変えることではなく、言葉にできなかった経験を共有できる言語を得る契機になります。マジブは癒やしを、身体、自尊感情、信頼との関係を少しずつ築き直す過程として読みます。性暴力や虐待の経験が含まれる一方で、暴力だけがアフリカ女性の性を代表するのではありません。好奇心、快楽、拒否、親密さもまた記録されるべき経験です。

本書の価値は、どのような知識を読者の前に置くかにあります。同時に、その形式が何を主張できるかにも限界があります。セキアマは出版社のガイドで、この仕事を自らのフェミニズム政治の一部とし、自由を共同の過程として語ります。マチロリは、黒人女性の経験を異国趣味的に消費する視線への抵抗として本書を評価しています。FemResはこれを、大陸全体を代表する統計調査ではなく、編集された、位置のある証言のアーカイブとして読みます。公に話せる人、著者が出会える人、語り手が持つ言葉や安全の条件は、どの物語が収録されるかを形づくります。その選択性を明記することは証言の価値を損なうのではなく、異なる女性たちの声を再びひとつの総称に押し込めないために重要です。

親密な経験を制度、労働、歴史的条件と並べて考えるには、グウェンドリン・ミケル編『アフリカ・フェミニズム:サハラ以南アフリカにおける生存の政治』との併読が有効です。1997年刊の論集は複数の国の事例から政治経済、法、日々の生存を扱い、セキアマの本は性、欲望、自己叙述へと視点を移します。これはひとつの「アフリカ・フェミニズム」の旧版と新版ではなく、時代、方法、問いの異なる入口です。本ページは出版社の版情報と著者ガイド、マチロリの書評、マジブの批評を参照し、主体性、アーカイブ、代表性についての記述は、それらを踏まえたFemResの解釈として示しています。

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