
フェミニスト政治理論 · 書物
性的契約
原題The Sexual Contract
ペイトマンは、自由な個人の合意が平等を保証せず、身体・労働・婚姻をめぐる支配を成立させる仕組みを問う。
書評と読書案内
同意は、ある関係を強制と区別するために必要だ。しかし、その関係の中で権力が平等に配分されているかどうかまで、同意だけで説明できるわけではない。キャロル・ペイトマンは、1988年初刊の『性的契約』で、この隔たりを政治理論の問題にする。自由な個人が合意によって正当な政府をつくるという物語において、誰がすでに独立した個人として認められ、誰の働きがその独立を可能にしているのか。本書は署名を称賛する前に、自由の条件を検討させる。ここに掲載するのは2018年の英語電子書籍版、ISBN9780745680330であり、原著初刊年とは異なる。
父を倒しても、男性による支配は終わらない
冒頭の「Contracting In」で、ペイトマンは原初契約を、歴史家が発見するはずの実際の会議ではなく、支配の正当性を説明する物語として扱う。通常の説明は父の権威の打倒を祝う。息子たちは父の臣下から自由な市民になる。だが、その勝利によって女性の位置はどう変わるのか。父による成人した息子の支配が終わっても、男性による女性の支配まで終わるとは限らない。男性同士が自由を承認する兄弟的な共同体も、性別化された権利を保持しうる。
したがって、性的契約と社会契約は同じ政治的構成の二つの次元である。先に性的な取引を済ませ、後から社会を設立するという歴史の順序ではない。「性的」も性交だけを意味せず、女性の身体へのアクセスを含め、身体と能力を政治的に秩序づけることに関わる。題名を私的なパートナー関係の批判だけと解すれば、市民の概念に対する挑戦を見失う。普遍的に見える個人が、他者の従属に支えられた男性をモデルとしている可能性が問われている。
これは公私の境界も変える。婚姻を政治的議論の外に置き、雇用と市民権だけを中心に据えれば、市民の日常的な自由を支える制度が見えなくなる。ペイトマンは家庭関係と公的権威の相互構成を論じる。家庭内の衝突をすべて国家暴力と同一視するのではない。私的な関係と名づけるだけでは、そこで行使される権力の説明にも正当化にもならないのである。
合意すると、どのような立場になるのか
婚姻が重要なのは、よい相手と悪い相手の出会いである以上に、制度上の位置を人に与えるからだ。2018年の社会法学者たちとの対話で、ペイトマンは配偶者の人格と、夫・妻という位置に付随する権力を区別する。思いやりのある人が優位を使わなくても、その優位がなくなったとはいえない。制度の規則を変えることも、親切になるよう個人に説くことには還元できない。
ここから、「自分で選んだのか」より具体的な問いが生まれる。その関係に入ることで、誰にどのような権威が与えられるのか。誰の労働が当然視され、誰の時間がいつでも利用可能とされ、拒否すれば何が起きるのか。現代のあらゆる婚姻について答えを先取りする問いではない。参加者の意図とともに、合意の制度的条件を調べるための問いである。署名は合意の成立を示しても、それを支える依存関係の全体を示さない。
雇用も議論の中心にある。ペイトマンは自ら執筆した「Sexual Contract」の項目で、人が能力を売りながら、自分自身は取引の完全な外部にとどまれるという政治的な擬制を問う。労働能力だけを職場へ送り、働く本人は別の場所にいることはできない。使用者が能力の使い方を指示すれば、その命令は身体をもつ人に届く。契約は物と金銭を交換するだけでなく、指揮と服従の関係を編成する。
この議論は、賃金が低すぎる場合があるという批判よりも射程が広い。報酬の引き上げは重要でも、作業の速度、規律、労働日の決定権が相手側に残ることはある。ただし、雇用と奴隷制を同じものと呼ぶのでもない。ある取り決めが許す権威、それを制約する保障、異議を申し立てるための集団的な力を特定する必要がある。自由な交換という道徳的語彙だけでは、職場の命令権が問題でないかのように見えてしまう。
独立した労働者の暮らしを、誰が支えるのか
有償・無償労働の編成を通じて、雇用の問題にジェンダーが入ってくる。ペイトマンは男性稼ぎ主を、家庭でのサービスや有償雇用を貢献として数える福祉制度と結びつける。独立は不平等に生み出される。一方の人は収入によって自立しているように見え、もう一方の生活を維持する仕事は私的義務とされる。女性が雇用に加わるだけでは、それ以外の労働を誰が実行し、管理するのかは決まらない。
HirataとKergoatの『性別分業の新たな形態』が具体的な比較となる。家事の委託を分析する二人は、専門職女性の仕事への対応可能性が、男性の責任ではなく別の女性の労働に支えられていないかと問う。理論的な立場は異なるが、契約への参入と、それを囲む労働分業の変革とを区別するために併読できる。同一の論証をしているという主張ではない。
本書は売春と代理懐胎にも批判を広げ、性的・生殖的能力を対象とする合意を検討する。この拡張には議論の余地を残す必要がある。選択を形づくる制度を示すだけでは、当事者が何を望み、どの権利をもち、どの政策が害を減らすかは決まらない。構造的批判が、説明しようとする当事者の発言を封じるなら、その批判の力も弱まる。同意は必要であり続ける。さらにどの条件があれば、拒否、交渉、退出を実行できるのかが問題になる。
歴史的議論を、変化する現在に照らす
ペイトマンの具体的分析は英米圏の制度とコモン・ローの伝統を対象とし、全社会に同じ歴史を想定するものではない。後年の考察では、婚姻法、男性稼ぎ主を支えた産業、不安定雇用の変化を認めている。1988年の理論は制度の変化に照らして検証する枠組みであり、現在の法律や労働の調査に代わるものではない。また、男女関係を軸にした構成には、女性間の差異や、二元的な婚姻モデルに収まらない生活をどう捉えるかという問いも向けられる。差異は、抽象的な普遍的女性のもとに消すのではなく、調査の問いを変える必要がある。
関係の内部で選ぶことと、その条件を共同で決めることの隔たりが、本書から残る。読む際には参加者の目的と、合意後に契約が可能にする権威の両方を見るべきだ。女性主義の問いは、女性も男性と同じように契約できるかだけではない。その条件のもとで暮らす人々に、自分たちの生活を統治する力があるかという問いなのである。
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