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明日のセックスはまた良くなる:同意の時代の女性と欲望

身体の自律性 · 書物

明日のセックスはまた良くなる

同意の時代の女性と欲望

原題Tomorrow Sex Will Be Good Again: Women and Desire in the Age of Consent

著者キャサリン・エンジェル

キャサリン・エンジェルは同意、欲望、興奮、傷つきやすさを問い、女性が安全と喜びを得るためになぜ完全な自己理解を示すよう求められるのかを考える。

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書評と読書案内

キャサリン・エンジェルの『明日のセックスはまた良くなる』は、女性を支えるように見える要求を問い直す。なぜ女性は、何を望むかをあらかじめ知り、常に明確に、自信を持って語らなければならないのか。著者は同意を性倫理の障害と見なしているのではない。あらゆるリスクを女性の自己理解と表現能力に委ねることを批判している。安全、尊重、探索の余地を得るために、欲望をいつも確信する主体になる必要はない。

本書は同意、欲望、興奮、傷つきやすさを扱う四つの随筆からなる。2021年に初版が出て、このページの書誌は2022年2月8日刊のVersoペーパーバック、ISBN 9781788739207に対応する。

明確に話すだけでは解決しない

Megan Hustadとの対話でエンジェルは二重の制約を指摘する。女性は性欲を自信を持って表現するよう求められながら、その表現によって辱められ、被害の訴えを否定されることもある。同時に暴力を防ぐ責任が女性に戻され、正しく説明できれば傷つけられないかのように扱われる。言葉は境界を示す助けになっても、強要する人や不平等な環境の責任を消さない。

問いは、女性が話す量を減らすべきか、言語が無用かではない。「表現する権利がある」ことと、「十分うまく表現して初めて保護される」ことを分ける必要がある。関係を失うのが怖い、嘲笑を恐れる、自分の感情がまだ分からない、考えが変わるという場合もある。安全は自信を演じた褒賞であってはならない。この事情を理解することも、相手が本人より欲望を分かっていると主張する根拠にはならない。

欲望が不確かでも、沈黙、曖昧さ、ためらいが同意になるわけではない。同じ対話で著者は、迷う人をいじめたり強要したりすることを明確に否定する。FemResはここから、止まる、拒否する、再び尋ねる、決定を変える余地を守る倫理を読む。探索は本人の選択であり、他者が先へ進み続ける理由にはできない。

欲望には一つの順序しかないわけではない

出版社の公開抜粋「Is Sexual Desire a Biological Drive?」は、欲望から興奮、オーガズムへ進む直線的なモデルを検討する。著者は映画やテレビの素早く円滑な性の場面と並べ、ある順序が実際の身体を測る基準になる過程を問う。最初に強い衝動が現れない人を性欲の不足として扱うと、状況や関係の問題が個人の欠陥にされかねない。

応答的な欲望という考え方では、適切なやりとりや条件の中で関心がゆっくり生まれる場合を考える。信頼、権力関係、ストレス、身体感覚、得られる喜びがそれを促進も阻害もする。これは「女性は受動的、男性は能動的」という新しい分類ではなく、望まない接触を受け入れて興奮するか試すよう要求するものでもない。経験の違いを説明するモデルは、同意のない行為を許可しない。

著者は新しい研究モデルを解放の最終解としても扱わない。診断の言葉がなお男性を欲望する人、女性を他人の働きかけに応じる人として書く可能性を検討する。病理化を減らすはずの分類が、誰が先に欲し、誰が合わせるかを再配置することもある。ここで扱うのは本書の性科学史への批評であり、現在の診断指針でも、読者の性欲を編集者が判定する根拠でもない。

持ち帰るべきなのは、一つのモデルが普遍的に正しいという結論ではなく、評価基準の政治性である。欲望の強さ、速さ、積極性が身体の合格証になると、女性は「欲しないべき」から「正しい欲望を持つべき」へ移される。余地を広げるには、古い台本と新しい台本の選択を迫るのではなく、差異を認める必要がある。

傷つきやすさは境界を捨てることではない

Rachael Rakesとの対話で著者は信頼とリスクを論じ、強い/弱い、能動的/受動的な女性という単純な階層を拒む。また、身体的リスクのある実践やセックスワークでは、行為や限界を明確に取り決めることの重要性も認める。完全な自己理解への批判を、話し合いや境界が喜びを邪魔するという主張に変えることはできない。

傷つきやすさとは、影響を受け、すべての経験を先に制御できないという事実を指す。それは互いの発見を可能にする一方、不平等の中では利用されうる。利益と損失を相殺するような問題ではない。喜びは強要を正当化せず、保護は女性を傷つかない存在にする努力だけに依存できない。変化を受け入れながら拒否を有効に保つ関係をつくることが難しい課題となる。

この形式の限界もある。随筆や対話は性政治を照らしても、住宅、収入、ケア、報復からの保護をそれ自体で提供できない。処方を拒む本は危機対応の手引きでもない。『性への権利』との対読で親密さの中の認識を制度の権力へつなぎ、『ソフィア嬢の日記』で文学人物の繰り返す自己解釈を抽象的な例に還元せず読むことができる。

四つの随筆に沿って、同意は何に答え、何を残すのか、欲望のモデルは何を標準にするのか、信頼のためのリスクは誰が負うのかと問いたい。これらの問いは確かな境界を保ち、その境界だけで自由が完成したと考えないためのものだ。

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