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カーストを書く/ジェンダーを書く

ダリット・フェミニズム · 書物

カーストを書く/ジェンダーを書く

原題Writing Caste/Writing Gender: Narrating Dalit Women's Testimonios

著者Sharmila Rege

Sharmila Rege がダリット女性のライフ・ナラティブを知識として読み直し、カーストとジェンダーを語る権限を問う。

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書評と読書案内

『カーストを書く/ジェンダーを書く』で社会学者・フェミニスト研究者のシャルミラ・レーゲは、ダリット女性のライフ・ナラティブを、外部の研究者が解釈するための「生の経験」ではなく、インドの社会史と理論を組み替える知識として読む。ここで重要なのは、何が語られたかだけではない。誰がその経験の意味を決め、誰が歴史の解釈者として認められるのかという、読者と学問の権力関係である。書名にある testimonios という語は、これらが私的な回想でも、研究者が切り取る証拠でもなく、具体的な生活の位置から労働、飢え、教育、暴力、尊厳、抵抗を論じる証言的なライフ・ナラティブであることを示唆する。

出版社の目次では、まずダリット女性の自伝を「消費」することが論じられ、次に testimonios の意義が置かれ、その後に八人の女性の語りが続く。Kumud Pawade、Urmila Pawar、Shantabai Kamble、Baby Kamble、Mukta Sarvagod、Shantabai Dani、Janabai Girhe、Vimal More の作品は、ひとつの抽象的な「ダリット女性の経験」を繰り返す例ではない。時代、生活の場所、労働や教育の条件はそれぞれ異なる。Pawar の『Aaidan』、Baby Kamble の『Jinne Amuche』、Pawade の『Antasphot』といった題名が並ぶ構成は、理論が先にあり人生が後からそれを証明するという順序を反転させる。語り手たちの言葉が、理論に何を問うべきかを決める。

この構成は、カーストを見ないまま「女性」を普遍的な主体とするフェミニズムと、男性の経験を共同体全体の代弁としてしまう反カースト政治の双方を問い直す。前者では、カーストが労働、尊厳、教育機会、暴力、公共の場で発言する権利を編成する制度関係ではなく、付け足しの属性になりやすい。後者では、家庭や運動の内部にあるジェンダー化された権力が後景に退きうる。ダリット女性の語りは、既存理論の空白を埋めるだけの声ではない。理論の主体、証拠、歴史の捉え方そのものに変更を迫る。

ただし、語りを「共同体の声」とまとめることも危険である。Shoma Sen は Baby Kamble と Urmila Pawar を比較し、ダリットの自伝は個人を共同体の関係に位置づける一方、共同体による自己の統制に抗議することもあると論じる。Sen の要約では、Kamble はアンベードカル以前の農村マハーラーシュトラにおけるカースト搾取と女性への暴力を描き、Pawar の村から都市へ向かう語りは、ポストコロニアルな近代化のなかで抑圧が別の形を取ることを示す。この比較は差異を考える手がかりだが、Rege が収録した他の書き手を代表するものではない。共同体は記憶や抵抗の条件になりうるが、それだけで平等な場所になるわけではない。「私」と「私たち」の緊張を残して読む必要がある。

「消費」への批判は、読者自身も問う。周縁化された人々の苦痛が、物語の迫真性や学術研究の材料として利用されるとき、共感を抱く読者でさえ、名づけ、解釈し、理論的な功績を配分する力を手放していないかもしれない。testimonio として読むことは、語りが媒介されない事実そのものだと考えることではない。また、研究者が「声を与える」と宣言することでもない。マラーティー語の語りが英語の出版物に届くまでには、翻訳、編集、選択、流通が介在する。その過程は読者をつなぐ一方で、どの書き手が正典に入りやすいかも左右する。注意深く読むとは、苦痛を真正性の証明にせず、異なる語りの矛盾や固有性を保つことでもある。

読書の入口としては、最初の二章を読んでから、たとえば『Aaidan』と『Jinne Amuche』を比べ、場所、労働、教育、家族、公共的な活動が「カースト経験」の尺度をどう変えるかを追うとよい。生命の語りから、カーストとジェンダーの歴史的な編成へ進むには、レーゲの『カーストをジェンダー化する』を併読できる。これは補完的な読書経路であり、二冊が互いを代替するという意味ではない。本書の意義は、ダリット女性を理論の対象としてではなく、知識と歴史の担い手として読む視点にある。同時に、八人の書き手をひとつの声にまとめたり、読者自身の理解を彼女たちの経験への透明なアクセスだと思い込んだりしない慎重さも求めている。

出典:シカゴ大学出版局の紹介と目次、Zubaan の書誌・紹介ページ、Shoma Sen の論文要旨。二人の著者の比較は同論文の要約に基づく。

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