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ジョイランド

南アジア・フェミニズム · 映画

ジョイランド

原題Joyland

サイム・サディクがラホールの大家族を描く本作では、既婚男性がトランスジェンダーのダンサーに惹かれていく。家父長制が課す役割が、同じ家に暮らす一人ひとりの欲望をどう押しつぶすかを見つめる点に、作品のフェミニズム的な力がある。

監督
Saim Sadiq
2022
地域
パキスタン
上映時間
126 min

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多世代が同居するラホールの家庭を舞台に、ジョイランド は家父長制のありふれた要求から始まる。家系を継ぐためには孫が必要だ、と。失業し、「男として不十分」と扱われてきたハイダーは、家族に隠れてダンス劇場の仕事を得て、野心的なトランスジェンダーのパフォーマー、ビバに惹かれていく。しかし映画は、二人の出会いを解放的な恋愛物語に還元しない。妻ムムタズ、義姉ヌッチ、そしてビバは、世間体、仕事、結婚、生存をめぐって、それぞれ異なる妥協を強いられている。

この家庭は、抑圧的な父親が一人いるだけの場所ではなく、ジェンダー秩序そのものとして機能する。男性には権威が与えられる一方、男らしさの規範によって彼ら自身も縛られる。女性の有給労働は家族の都合で取り上げられるのに、生殖とケアの労働は当然に差し出されるものとみなされる。ムムタズが仕事を失うことは個人的な挫折にとどまらない。ある者の自由を別の者へ移し、男性の失敗と集団の期待の代償を女性に引き受けさせることで、家族が「調和」を保つ仕組みを露わにする。

ビバの存在はこの秩序を揺さぶるが、映画は彼女を安易な「自由の象徴」にはしない。彼女はカリスマ性と職業的な野心を持ち、公共空間の暴力にさらされ、ハイダーが自分に投影する幻想にも警戒している。本作はトランス女性に性的な欲望と仕事上の野心を与える一方、シスジェンダー男性が自らの特権には向き合わないまま、トランス女性への憧れを逃避先にしてしまう危うさも示す。クィアな欲望が階級や家父長制を魔法のように消すのではなく、それらを可視化するとき、本作の政治性は最も鋭くなる。

だからこそ、フェミニストとして本作を読むなら、ムムタズをハイダーやビバと同じく物語の中心に置かなければならない。ジョイランド は、親族関係が相続、服従、幸福そうな外見を守るために組織されるとき、誰に内面を生きる権利が認められるのかを問う。悲劇を生むのは欲望そのものではない。抵抗を秘密としてしか想像できず、もっとも要求を無視されやすい人を犠牲にしてしか存続できない家庭の構造である。

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