FemRes成長し続けるレビュー

オーラルヒストリー · 音声

それは話してはいけない

De eso no se habla

イサベル・カデナス・カニョンが、受け継がれる沈黙をジェンダーと歴史の記憶、声が聞き届けられる条件につなぐスペイン語の音声ドキュメンタリー。

Spotify
配信元で聴く ↗
この資料を共有
X ↗Facebook ↗

01

リスニングノート

話していても、聞いてもらえるとは限らない。De eso no se hablaは家族の記憶と政治の歴史から、女性が語っても聞き届けられない状況と権力を問う。イサベル・カデナス・カニョンが監督・語りを担うスペイン語の音声ドキュメンタリーだ。題名は、食卓などで聞く「そのことは話してはいけない」という指示を思わせる。その指示が力をもつ仕組みを調べながら、語られない経験をすべて同じ秘密にはしない。公式配信には2020年5月22日の特別回があり、通常の第1シーズンは9月27日に始まった。

沈黙にも場所と歴史がある

プロローグの出発点は、録音作業で使うルームトーンだ。何も起きていないように思える部屋の音を録り、編集時に自然な間をつくる。カデナス・カニョンは各地の録音を集め、沈黙は似ていても同一ではないと気づく。これは単なる比喩ではない。空白に聞こえる部分にも、環境や人の存在がある。沈黙を無とみなすとき、誰の状況を聞き落とすのかという問いになる。

語り手は母の死をめぐる疑問から、質問を思いとどまらせる家族の習慣、スペインの独裁から受け継がれた恐怖へと進む。親密な生活と政治史を結ぶ構成であり、全家族の秘密を単一の原因で説明するものではない。波風を立てない、目立たない、他人を苦しませないという期待にもジェンダーが関わる。それは答えられる人だけでなく、質問する資格がある人も選別する。

制作を主導するのはカデナス・カニョンだが、音声の背後には文章・脚本の編集、編集補助、音響制作の労働がある。初期のクレジットではLaura Casielles、Vanessa Rousselot、Paula Moraisが異なる役割を担う。声を扱う番組だからこそ、この協働は重要だ。一人称の語り手が聞こえることは、一人だけで媒介なしに作品をつくったことを意味しない。

娘は問い直すが、空白を埋め尽くさない

入口には、2020年9月27日公開、32分32秒の「Preguntan por ti」がよい。詩人Rosana Acquaroniは、幼い頃の母の不在、写真、意味のわからなかった家の物を振り返る。語りは母をManuelaという名前で呼び直し、母親という役割に尽きない人生を取り戻していく。私的な歴史から、フランコ体制下の階級差、性的な慎みの規範、不平等な道徳判断が見えてくる。

原語の書き起こしには不確実さも残る。Rosanaと語り手はすべての出会いの詳細を知っているわけではなく、物語の別の側にいる親族は録音を断る。不在は、欠けた側を創作する許可ではない。また、汚名、苦痛、精神科への入院が順に語られても、そこから診断や唯一の病因は確定できない。女性の選択と社会的な代償を可視化しつつ、答えのない問いを残せるところに力がある。

終盤でRosanaは、母について書くことと、自分の生活の再検討を結びつける。それは彼女の経験であり、秘密の開示が万人を癒やす証拠ではない。女性主義的な聴き方は発言の可能性を尊重しながら、自分を明かさなければならないという新たな義務を拒むこともできる。公に語った後の結果を誰が担うのかは、秘密が明かされる瞬間と同じくらい重要である。

録音機を持つのは誰か

2020年10月11日公開の「Jadiya」では手法が変わる。制作側はティンドゥフのサハラウィ難民キャンプで暮らすJadiya Aliに録音機を送り、インタビュアーの質問を中心とする方法から離れる。日記には事務所での仕事、ヤギの世話、皿洗い、冗談、家族で共有する部屋が入る。彼女は避難民という位置だけに還元されず、同時にその物質的条件から切り離されるわけでもない。日常の時間も、聞くべきものになる。

とりわけ具体的なのが、メルハファかスカーフかという服装の話だ。職場では着替えが視線を集め、スペインではスカーフを着けることに別の反応がある。彼女は快適さ、選択、時々の用途を語り、一つの衣服を自由や抑圧の普遍的記号にはしない。日記は意味の併存を可能にする。女性の服を先に解釈し、その後で話を聞くか決める受け手の習慣を揺さぶる。

語り手は日記の多くで身を引くが、録音にはなお脚本構成と編集があり、最後には歴史的な背景が加わる。録音機を渡すことは関係を変えても、媒介をなくさない。問うべきは、本人が自分の現れ方を定義する余地をどれほど得たかであり、技術が透明な声を実現したかではない。一人の日記であり、全サハラウィ女性の調査ではない。

Charlotte Bienaiméのフランス語番組『自分だけのポッドキャスト』は別の状況から比較できる。すでに平等を自認する組織の中で、証言はどう問題として理解されるのか。両番組を聴くことで、勇敢に話すことから、声が受け取られる条件へと目を向けられる。発言、語りの形式の選択、主張を真剣に受け止められることは関連しながら、それぞれ異なる権力配分に支えられている。

別の形式で読み進める

特集をたどる

読者の声

聴取後の対話

心に残ったことや、次に聴くべき音声の手がかりを共有してください。

ディスカッションに参加

コメント

コメントを読み込み中...

サポート

このコンテンツがお役に立ちましたら

FemResを支援