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生殖の自律性 · 音声

チャイルドフリー:30歳で不妊手術を選ぶ

Childfree

子どもを持たないFrancy Uribeの選択から、身体の自己決定と親密な関係の期待がぶつかる場所を考える。

lasraraspodcast.com / 19m
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リスニングノート

子どもを欲しくないと言う人の言葉は、なぜ真剣な生活上の選択ではなく、いずれ修正される段階と受け取られやすいのか。Catalina MayとMartín Cruzが制作するLas Rarasの『Childfree』は、シーズン1の第3話である。2016年10月31日公開、19分13秒。Francy Uribeの人生を中心に、母にならない選択を具体的な関係の中に置き、生育への賛否だけを争う議題にはしない。

公式のエピソード紹介は、彼女が9歳で子どもを持たないと告げ、22歳で中絶し、30歳で恋に落ち、恋人と同居する前に不妊手術を選んだと記す。この並びは、恋愛、生殖、共同生活が同じ結末に向かうという期待を揺さぶる。関係を築く意思は、母になることで関係を完成させる同意まで意味しない。

決定の後にも関係は続く

制作側の紹介は、その決定と感情面での帰結も結びつける。身体の自己決定は、決める瞬間だけのことではない。その後も、伴侶、家族、社会的期待との生活が続く。割り当てられた役割を拒むと、相手が思い描く親密さや未来も変わりうる。自発的な選択だからといって、その費用がなくなるわけではない。

ここでは、その決定が本人に属するかという判断と、決めれば苦痛がすべて消えるかという判断を分けられる。つらさを感じることによって自己決定が取り消されるのではないし、自主性を証明するためにつらさを隠す必要もない。選択を貫くことと関係上の喪失は両立しうる。これは物語から考えられる倫理上の問いであり、Francyの心理や経験のすべてを推測するものではない。

チャイルドフリーは、子育ての反対側にある消費上のアイデンティティだけでもない。母になる未来が女性の既定路線とされると、拒む側が多くを説明しなければならない。生殖を関係の中で話し合うには、伴侶の希望にも耳を傾ける必要がある。しかし、それは一方の身体を相手が履行させられる約束と扱うこととは違う。この区別が、親密さ、責任、拒否を同時に考える条件になる。

一人の物語を一般則にしない

一人の語りは、子どもを望まないすべての人を代表せず、一国の医療や法制度も自動的に説明しない。題名と紹介は、手術方法、安全性、臨床的適応を比較する資料にはならない。手術を選ぶための医療上の助言ではなく、自己決定を支える関係の条件を話し合えるようにする物語である。

LunaとLukerのリプロダクティブ・ジャスティス論は、より広い比較枠を与える。子どもを持たないこと、持つこと、継続可能な環境で育てることのすべてに、権利と資源が関わる。母になる義務からの自由は母職の否定を必要とせず、子どもを望んでも障壁に直面する人と政治的につながることができる。

DinizとMedeirosのブラジル中絶調査との比較では、個人の語りと集団調査が答えられる問いの違いがわかる。調査は中絶する人についての想定を問い、Francyの語りは選択が関係の中でどう生きられるかに目を向ける。同じ国の事例でも代替可能な証拠でもないが、単一の「よい女性」像で生殖生活を組織することへの問いを共有している。

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