先住民フェミニズム · 論考
身体と土地から考える共同体フェミニズム
カブナルは土地の防衛と身体の自己決定を結び、共同体内部の家父長制、強制的異性愛、祖先の伝統の理想化を同時に批判する。
記事解析
共同体が土地の収奪に抵抗しながら、女性の身体への支配を容認することはないだろうか。ロレナ・カブナルは、ACSURの冊子『Feminismos diversos: el feminismo comunitario』所収の論考で、この矛盾を共同体フェミニズムの中心に置く。グアテマラの先住民女性の政治経験から、土地の防衛と、身体、喜び、行動を自ら決める権限を結びつける。
共同体の内側から批判する
原題は『Acercamiento a la construcción de la propuesta de pensamiento epistémico de las mujeres indígenas feministas comunitarias de Abya Yala』。カブナルは、先住民女性を、概念を生み出し伝統を問い直す知の主体として位置づける。抑圧に異議を唱える権限を得るために、自らの文化から離れる必要はない。
祖先からの家父長制と植民地的な家父長制の接合という議論は、あらゆるジェンダー支配を植民者だけに帰す説明を退ける。植民地支配の責任を軽くするためではなく、反植民地抵抗が内部の支配を免責しないためである。同時に先住民の世界観の多様性も強調される。すべての民族が同じ前植民地史を持つという断言には置き換えられない。
相補性を定義するのは誰か
宇宙観と異性愛規範の議論では、男女が自然に補い合うとされるとき、誰が役割を決めるのかが問われる。神聖とされる関係も、女性を生殖、ケア、文化保存の担い手に固定し、拒否を共同体への脅威に変えることがある。
この問題は性にも及ぶ。異性愛が宇宙や自然の秩序とされれば、それ以外の関係は外から持ち込まれた汚染とみなされやすい。カブナルは、この規範と男性による知識の権威を結びつける。伝統を解釈する者と、維持だけを求められる者は誰か。伝統への批判は、共同体が生き続け変化する方法にもなる。
身体―土地は権力の関係である
身体を取り戻すべき最初の領土と捉え、カブナルは鉱山開発や土地収奪への抵抗と身体の自己決定を結ぶ。誰が身体や土地を利用、処分、開発できるのか。誰が傷つき、誰が拒めるのか。この連関は、女性が生物学的に男性より自然に近いという説明を必要としない。
性的な喜び、芸術、休息、癒やし、歓びは身体の自由の実践に含まれる。女性は被害者や文化の保存者だけでなく、望む生をつくる主体となる。土地を守る運動が性暴力、経済的な統制、女性の発言の排除を容認するなら、運動自身の関係も変える必要がある。
異なる歴史を保ちながらつながる
カブナルは、それぞれの出発点を保ちながら、異なる場所の女性が聴き合うことを呼びかける。これは政治と知の創造の提案であり、すべての先住民社会の構造を証明する比較調査ではない。祖先的家父長制の議論は、個別の地域史と照らし合わせて検討すべきであり、無垢な伝統か遅れた文化かという二択には還元できない。
身体、領土、癒やしをめぐるカブナルの対話は、別の場でこれらの問題を展開する。ルゴネスの「植民地性とジェンダー」は、植民地支配とジェンダー形成を考える別の理論的道筋となる。歴史の起点と支配関係の捉え方の違いを残して、対話させることができる。
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