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南部からの声――南部の黒人女性による論考

女性史 · 書物

南部からの声――南部の黒人女性による論考

原題A Voice from the South: By a Black Woman of the South

著者アンナ・ジュリア・クーパー

アンナ・ジュリア・クーパーは教育、女性の地位、人種政治を通じて、誰が黒人共同体を代表して語るのか、黒人女性が知と公共生活をどう変えるのかを問う。

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書評と読書案内

アンナ・ジュリア・クーパーの『南部からの声』は、1892年にオハイオ州ゼニアで出版され、副題に「南部の黒人女性による」と掲げる。この言葉は控えめな自己紹介ではなく、知がどこから語られるかについての主張である。白人女性運動と黒人男性主導の人種政治の双方が黒人女性を周縁化しうる時代に、クーパーは「女性」や「人種の進歩」の意味を定める議論に黒人女性が参加する権威を主張した。本書は一つの論を一直線に進める専門書ではなく、演説と論考を集めたものだ。主題、語調、読者、論じ方の変化そのものに目を向けたい。

黒人女性のために席を一つ足すだけではない

クーパーは本書を、音楽用語を冠した「Soprano Obligato」と「Tutti ad Libitum」の二部に分ける。前半は女性の地位、教育、公共的役割を中心にし、後半は米国の人種問題、文学に表象される黒人、社会が黒人の価値を測る基準へと広がる。音楽の比喩が示すのは、黒人女性の声部が合唱に付け加える装飾ではないということだ。その声が欠ければ、社会の和声も、社会についての理解も不完全になる。クーパーは他者が定めた議題に代表者を一人加えるよう求めているのではない。黒人女性がいないことで議題そのものが歪んでいると論じる。

「女性の高等教育」は、すべての女性に当てはまると称するジェンダー論を揺さぶる。女性の高等教育に反対する人々は結婚や家庭を理由に、学問が女性を親密な関係に不向きにすると示唆した。クーパーは皮肉を交えてその不安に応じ、問いを反転する。なぜ教育は男性にとって当然の権利で、女性には疑わしい特権なのか。彼女は黒人女性と少女に十分な教育を受ける権利を求める。教育は個人の上昇だけでなく、知識生産、共同体生活、公共的判断に参加する条件として論じられる。同時に、黒人女性の教育を共同体全体の未来と結びつける彼女の議論には、今日の読者も問いを返せる。人種の進歩を代表する責任を女性に負わせることで、過剰な道徳的労働を課していないだろうか。

作品は歓迎されても、作者は締め出される

クーパーは、ある黒人女性芸術家の作品は展覧会への出品を認められたのに、本人が会場に来ると入場を断られた事例を紹介する。この場面は制度的排除の矛盾を凝縮している。作品を受け入れ、形式を評価できる機関が、その作者には公衆と対等にそこへ入ることを許さない。作品は鑑賞・消費されても、黒人女性は文化を見て、評価し、参加する権利のある人として認められない。これは抽象的な偏見にとどまらず、入場、教育、社会的ネットワークをめぐる日常の規則によって実行される境界である。

「私たちは何者として評価されるのか」という問いや人種に関する論考で、クーパーは社会が黒人を測る基準も問う。白人が支配する教育機関、文学の正典、公共世論だけが価値を判断するなら、黒人が知識、創造性、市民としての能力を持っていても、判定する席に着けない。求めているのはより良い表象だけではない。誰が評価基準を定め、誰が自分の価値を語る権限を持つのか、排除された人々がどのように自らの公共的基準を築けるのかを問う。

初期の黒人フェミニズム論考と、読む際に必要な限界

米国国立公園局は、本書を黒人フェミニスト思想の初期の書物としての表明の一つと位置づけ、白人女性の改革運動が黒人の権利と先住民の権利を対立させる議論にクーパーが異議を唱えたことを指摘する。この背景から、「女性対インディアン」は特に注意深く読む必要がある。この論考は白人女性改革者の人種と先住民をめぐる議論に介入するが、先住民族の歴史や政治を包括的に分析したものと取り違えてはならない。また、「文明」や世界の地域を比較する箇所には、19世紀の文化的序列やオリエンタリズム的な前提も残る。限界を指摘することはクーパーの批判を打ち消すことではない。彼女を時代を超越した全知の思想家にしてしまうことを避けるためである。

後世の概念を、すでに完成したものとして過去へ投影してもならない。クーパーの議論はジェンダー、人種、教育、階級化された公共生活を関連づけており、今日なら交差性の分析と対話させられる。しかし「intersectionality」という語を導入したのは1989年のキンバリー・クレンショーである。クーパーがこの用語を使った、あるいは一人で生み出したと書くべきではない。より正確には、本書は後の黒人フェミニズム理論が比較し、発展させ、批判できる初期の重要な思想資源を提供している。

『南部からの声』の長く残る価値は、「誰が語れるか」「何を知と認めるか」を制度の問題として扱った点にある。教育の平等は既存の教室に入ることだけではない。知識を生み出し、著者や芸術家として認められ、公的な価値基準を定める議論に参加する権限も含む。ソジャーナ・トゥルースの自伝と読み比べれば、口述による権威と論考がどのように公共圏に入るかを考えられる。『Words of Fire』は黒人女性の思想が後代に選ばれ、伝えられる経路を考える比較の入口となる。『Black Feminist Thought』は、後の認識論的な枠組みを見分ける助けになるが、それらが1892年にすでに完成していたと考えるべきではない。

原書の書誌と電子テキストはProject Gutenbergのページで確認できる。クーパーと二部構成、黒人フェミニスト思想における位置については米国国立公園局の紹介を参照。1892年の初版には確認できるISBNはない。Project Gutenbergはこの電子テキストを米国でパブリックドメインと表示しているが、著作権の保護期間は国によって異なる。他地域で引用、複製、再利用する前に現地法を確認してほしい。FemResは電子書籍の入口ページを案内し、全文を再配布しない。

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