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十億のブラック・アンソロポセン、あるいはなし

環境正義 · 書物

十億のブラック・アンソロポセン、あるいはなし

原題A Billion Black Anthropocenes or None

著者Kathryn Yusoff

奴隷制、採掘、人種化された地質的暴力を消してしまう Anthropocene の抽象的な「人類」語りを批判する。

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書評と読書案内

Kathryn Yusoff の短くも難解な本は、人間活動が惑星規模の地質学的力になったとする「人新世」の起源物語に介入する。「人類が地球を変えた」とだけ語れば、責任は普遍的で均等に分かち合われているように見える。Yusoff が問うのは、征服、プランテーション奴隷制、採鉱、人種資本主義を、惑星的な採取を可能にした技術ではなく背景として扱うとき、何が消えるのかということだ。

「地質学は中立ではない」という主張は、岩石に政治的意図があるという意味ではない。地質学という学問が帝国、所有権、分類の歴史のなかで成立し、その概念が、価値ある人間主体と、無主で不活性かつ利用可能とされた物質とを分ける働きをしたという意味である。今日の研究者が植民地主義を支持していなくても、記述的に見える文法には政治史が残りうる。

最も不穏な論点は、鉱物の採取と、奴隷制のもとで黒人が交換可能、計量可能、廃棄可能な存在へと作られた過程を並べて読むことにある。人間と岩石を単純に同一視しているのではない。黒い身体に「非人間」の地位を押しつけ、土地と労働をともに価値の単位へ換算する一方、白人性が観察し、命名し、所有する普遍的人間の位置を占めた仕組みを示している。

黒人フェミニズム思想を地理学、地球科学と対話させることで、Yusoff は環境史の主体と資料の双方を変える。プランテーション、奴隷船、鉱山、帳簿、地質調査は、物質世界と人種分類が同時に作られた証拠となる。地質学的な深い時間も政治から隔てられた純粋な距離ではない。奴隷制の残響は、景観、制度、危害への曝露の差を通じて現在を組織し続ける。

この再構成は、人新世の地質学的な「ゴールデン・スパイク」をどこに置くかという議論にも挑む。工業化、植民地的な生物交換、核降下物など、何を指標にしても、一つの開始年は複数の不平等な歴史を一つの人類史へ圧縮しかねない。題名の「十億のブラック・アンソロポセン」はその圧縮を拒み、特権的な人々が危機を宣言する以前に、無数の人種化された世界が終焉と強制的変容を経験していたことを示す。

フェミニズム環境政治にとって重要なのは、身体、労働、再生産、物質性を惑星変動から切り離せないという点だ。誰が資源として作られ、誰の傷が採取後になって初めて証拠とされ、誰が気候政策の「人類」を代表できるのか。本書のインターセクショナリティは地質学に属性一覧を足すことではなく、生態危機が生まれた因果の物語自体を変える。

論証は意図的に圧縮され、思弁的である。130頁の本は、地質学、奴隷制、気候科学の包括的歴史ではなく、高密度の理論は、専門的な歴史研究よりも変化を急速に見せることがある。反黒人性の分析を、あらゆる植民地史や先住民史を説明する単一の公式に一般化してもならない。価値は問題を開くことにあり、その検証と拡張には場所に根差した研究が必要だ。

本書はゆっくり読み、注を追い、比喩と歴史的主張を区別したい。標準的な人新世論、特定地域の奴隷制史または鉱山史、その土地の黒人・先住民環境研究者の仕事と組み合わせるとよい。生産的な問いは、人新世がいつ始まったかだけではない。ある種類の「人類」が惑星的危機に気づく前に、誰の世界がすでに終わらされていたのか、である。

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