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わたしはマララ:教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女

政治参加 · 書物

わたしはマララ:教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女

原題I Am Malala: The Girl Who Stood Up for Education and Was Shot by the Taliban

著者マララ・ユスフザイ、クリスティーナ・ラム

教育を受ける権利を求めて戦い、15歳でタリバンに銃撃されながらも奇跡的に生還した少女の感動の手記。パキスタンのスワート渓谷での生活、家族の絆、そして過激派による抑圧に対抗する一人の少女の勇気が、世界中を動かした記録。

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書評と読書案内

2013年に出版された『わたしはマララ:教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女(I Am Malala: The Story of the Girl Who Stood Up for Education and Was Shot by the Taliban)』は、現代において最も力強く、かつ世界を変えた回顧録の一つである。マララ・ユスフザイがジャーナリストのクリスティーナ・ラムと共に綴った本書は、単なる一人の少女の自伝であることを超え、抑圧に対する全世界的な抵抗のシンボル、そしてすべての子供、特に女子が平等に教育を受ける権利の必然性を訴えるマニフェストとなっている。

マララ・ユスフザイは、パキスタン北部のスワート渓谷で生まれ育った。美しい自然に囲まれ、かつては観光地として知られたこの地は、2000年代半ばからタリバンという過激派組織の支配下に置かれることになった。タリバンは音楽、テレビ、ダンスを禁止し、そして最も残酷なことに、女子が学校に通うことを禁じた。マララは、教育者であり平和活動家でもあった父ジアウディンの影響を強く受け、幼いながらも「なぜ女の子だというだけで、教育を受ける権利を奪われなければならないのか」という問いを社会に投げかけ始めた。

本書の前半では、スワート渓谷での平和だった生活がいかにして破壊されていったかが、一人の少女の目線から生々しく描かれている。夜な夜なラジオから流れるタリバンの脅迫、広場に晒される遺体、そして次々と閉鎖されていく学校。そのような恐怖政治の中でも、マララは「一冊の本、一本のペン、一人の子供、そして一人の先生が世界を変えることができる」と信じ、学校に通い続けた。彼女はBBCのブログで偽名を使ってタリバン支配下の生活を伝え、国際的な注目を集めるようになった。しかし、その勇気ある行動は彼女をタリバンの標的にすることになった。

2012年10月9日、当時15歳だったマララは、いつものようにスクールバスで下校している最中、覆面をした男に銃撃された。至近距離から頭を撃ち抜かれた彼女は、生還の見込みはほとんどないと思われた。しかし、パキスタン、そしてイギリスでの必死の救命処置の結果、彼女は奇跡的に一命を取り留めた。本書の後半部では、この絶望的な状況からの復活と、彼女の声がさらに大きく、より多くの人々に届くようになっていった過程が記録されている。彼女が意識を取り戻したとき、最初にした質問の一つが「お父さんは無事?」そして「学校の友達はどうなったの?」だったというエピソードは、彼女の心の底にある深い絆と使命感を象徴している。

マララの物語において特筆すべきは、父ジアウディンとの関係である。パキスタンの保守的な社会、特に部族地域においては、息子が誇りであり、娘は「結婚までの預かりもの」として扱われることが多い。しかしジアウディンは、マララが生まれたときに「この子は自由になるんだ」と宣言し、彼女の翼を折るのではなく、彼女がより高く飛べるように支え続けた。マララは本書で、「父がいなければ、私は今頃学校を辞めて結婚し、何人かの子供を育てていただろう。父は私を人として尊重してくれた」と繰り返している。この父娘の絆は、家父長制的な社会において男性がいかにして女性の権利の強力なアライ(同盟者)になり得るかという重要な示唆を与えている。

また本書は、イスラム教についての深い理解も促している。タリバンは自らの暴力を「イスラムの教え」として正当化しようとするが、マララはコーランを引用し、イスラムの真の教えは知識を求め、平和を尊ぶものであることを力説する。彼女にとって、教育を求めることは宗教的な義務ですらある。彼女は、特定のグループによる極端な解釈が、いかに本来の宗教の精神を歪め、抑圧の道具として利用されてきたかを明らかにしている。

『わたしはマララ』は、フェミニズムの観点からも極めて重要である。マララの闘いは、政治参加、法的平等、そして身体の安全という女性の権利の基本に関わるものである。彼女は、女子に教育を受けさせないことが、いかにその社会全体の発展を阻み、貧困と無知を固定化させるかを指摘する。女性が自分の考えを持ち、自立することは、家父長制社会における既得権益層にとって最大の脅威なのである。マララは、女子の教育を「テロリズムに対する最も強力な武器」と定義した。

本書はまた、パキスタンという国の複雑な歴史と政治状況についても触れている。アメリカのドローン攻撃に対する感情、汚職にまみれた政府、そして軍部と過激派の複雑な関係。マララは祖国パキスタンを深く愛しているが、その社会が抱える矛盾に対しては厳しい批判の目を向ける。クリスティーナ・ラムのジャーナリスティックな視点が加わることで、本書は一人の少女の回想録であると同時に、南アジア情勢を理解するための優れたルポルタージュとしての深みも持っている。

2014年、マララは史上最年少でノーベル平和賞を受賞した。その受賞スピーチで彼女は、「この賞は、変化を求めている名もなき子供たちのためのものです」と語った。本書を通じて私たちが知るマララは、決して特別な能力を持ったスーパーヒーローではない。彼女はただ、学ぶことを愛し、友達とおしゃべりすることを楽しみにし、自分の故郷を愛する一人の少女である。その「普通の少女」が、不正義に対して「NO」と言ったとき、世界中が耳を傾けたのである。

メンタルヘルスの側面からも、本書は強靭な精神(レジリエンス)の物語として読むことができる。凄惨な事件によって物理的な傷を負い、故郷を追われ、国際的な役割という重圧を背負いながらも、マララは決してユーモアと優しさを失わない。彼女が「私はあの男を憎んでいない。私が望むのは、彼の子供たちが、そしてタリバンのすべての息子や娘たちが教育を受けることなのです」と語るとき、私たちは真の強さが暴力ではなく、赦しと教育の中にあることを知る。

本書が投げかける問いは、今なお解決されていない。2021年のタリバンによるアフガニスタン再支配により、再び多くの女子が教育の機会を奪われている現状を、私たちは目の当たりにしている。マララの闘いは終わっていないのである。本書を読むことは、私たちが享受している教育や自由が、いかに尊く、そしていかに脆いものであるかを再確認するプロセスでもある。

結論として、『わたしはマララ』は、すべての人に読まれるべき希望の書である。一人の少女の勇気が世界を動かし、銃弾が彼女を沈黙させるのではなく、彼女の声をより遠くまで響かせる結果となった。この物語は、沈黙させられている世界中のすべての人々に「あなたの声には力がある」と告げている。マララは今も世界中を飛び回り、「すべての女子が12年間の無料かつ安全で質の高い教育を受けられる世界」を目指して活動を続けている。彼女の物語は、未来を創る若者たち、そしてその未来を支えるすべての大人の心に、消えない勇気の火を灯し続けている。

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